【読む】若松英輔の小林秀雄論  鹿島茂のお粗末な小林秀雄本

(以下はブログ更新ができなかった時に、途中まで書きかけたものを完成させたもの。) 

  鹿島茂の『ドーダの人、小林秀雄』にダメ出しをしたままで気になっている。書名からして刊行当時から無視していた本ながら、ヒッキ―先生が面白いなどと言ったものだからアマゾンでゲットしたものの、チョッと覗いただけでやっぱりヒドイ本だった。そうブログで書いたらヒッキ―先生から失言だったと言われてガックリしたものの、フランス文学との関連の章なら少しは読む価値があるかとチョッと期待している。サントリー・エッセイ賞などを受賞したほどの書き手だから、それらの著名な書を読めば真価が伝わってくると思いながらも古書店では見かけない。それにしても「ドーダ」で文学史まで構想するのだから(挫折したままらしいけど)鹿島もオソマツなものも平気で書く人なンだネ。ボクの批判の言葉で言うと、メディアに消費されている存在なンだネ。

 ともあれこの10数年、なぜか小林秀雄についてヒドイ本が次々と出版されている感じで、秀雄のために嘆いたり怒ったりで落ち着かない。『シドクⅡ』で本を出すのは最後にしようとしていたものの、小林秀雄のために啓蒙的な本を出す(匿名でも)ことで恩返ししてから死にたいと思っているヨ。

 マギーが若松英輔小林秀雄論を勧めてくれたので、何度か目次中心に立ち読みしたけれど全然そそられない。クリスチャンらしい立場から(?)よくある切り口でパターン化している印象。故・越知保夫さんの名前もあったから、その二番煎じのようなものなら(越知本で分かっているから)読むまでもないという感じだネ。たまたま行きつけの七七舎(国分寺古書店、100円本が充実している)で若松さんの論が載っている『三田文學』(2008年秋季号)を見つけてゲットしたので読んでみた(7割ほどまでで放置)。

 「小林秀雄井筒俊彦――神秘的人間とその系譜」という長い論文なのだけれど、副題に沿って井筒中心に論じながら小林もそれに合わせて料理されているので納得しがたいし、同じような論述に飽きてしまった。井筒論としては読む価値があるのかもしれないものの、小林秀雄を新しい視点から説得力を持って論じているわけではないからだ。時間が経ってしまったので具体例を示す労はとらないけど、「100分で名著」でとても啓蒙的に説明してくれる人なのに、専門的な問題を論理的に展開するのは苦手なようだ。しかし「こころの時代」(Eテレ、日曜)で「コヘレト」の専門家と対談したものは、こちらが全く無知なせいもあってすごく刺激的だったネ。やはりキリスト教については詳しい人なンだ。