【読む】池辺晋一郎(作曲家)が面白い  若林真由美

 このところ音楽の話題を取り上げていないというハンセイをしつつ、直接音楽を語るのではないながら作曲家の言葉を紹介したい。池辺晋一郎という人はテレビでも露出が多いので、けっこう知られていると勝手に思っているのだけれど、どうかな? 頭髪が薄いので昔からバーコードを堅持している人で、ボクをはるかに超えるダジャレを乱発する人なんだけど。長いこと「N響アワー」の解説を務めていて、MCの檀ふみや若林真由美をクダラナイ駄じゃれで困らせていたのを忘れない。

 そう言えば若林真由美を最近テレビなどでよく見かけるけど、理由があるのかな? 若くして化け物みたいな(相撲取り並みの身体で2度の離婚歴あり)新興宗教の教祖(?)と結婚して世間を驚かせたのを覚えているけど、母親が信者で娘を提供したのだろ、くらいに受け止めていたものだ(実態はしらないけど)。化け物の方はだいぶ前に死んでいるそうなので、間もなく芸能界に復帰したものの今まではあまり目立たなかっただけなのかな? どうでもイイのだけど。

 ダジャレつながりじゃないけど、池辺晋一郎は嫌いでないので朝日新聞の連載記事「語るー人生の贈りものー」を楽しく読んでいる。想定以上に作曲家としての才能があるのは分かったけど、考え方もシッカリしているので感心したネ。第6回から引用する。

 《十二音技法とか電子音楽とか、いわゆる現代音楽の手法はひととおり、若い頃に全部試しました。流行りモノにはとりあえずかぶれてみるタイプ(笑)。でも、どれも僕にはつまらなかった。方向性を、全部誰かが事前に決めてくれているわけだから。》

 文学論にも当てはまる名言だということは分かると思う。『シドクⅡ』の前書きで、《他人(ひと)のフンドシで相撲をとる(論文を書く)のが恥ずかしく》と記したのを思い出したヨ。新しい理論に引き付けられるのはイイけれど、理論に依拠したまま論文を書いていては独自の論ではない、ということになると池辺さんは見抜いているといことだネ。オモシロい見かけ以上に頭のイイ人だネ。