【状況への失言】太平洋戦争にまつわる新知識  罪意識の欠落した岸信介→安倍晋三  坂口安吾「真珠」

 この数日、テレビ・新聞で太平洋戦争関係の記事・番組が目立っているのに、きょう8日が80年前の開戦日だということがハッキリ自覚できていなかった。12月出なければ「8日」が想起させるのが開戦日なのだけど、イザその日になるとピンとこないというのもボケの兆候なのかな? それにしてもまだまだこの戦争に関して知らないことが多いことを、この数日間で教えられて驚いている。

 そもそも今ブログを記しながら見ている番組は、「クローズアップ現代」(NHKテレビ)で取り上げられているのは、BC級戦犯の中には刑務所に収監されながらも、罪を痛感して出所する嘆願書を出さずにいた日本人が10名ほどいたという事実だ。番組でコメントを求められている歴史家なども驚くべき事実だけど、安倍晋三の縁者である岸信介をはじめとするA級戦犯(註しておくけど、A~C・・級などはランク付けではなくて犯罪の種類分けだ)などは罪を感じないまま戦後社会にすぐに適応していくヤカラが多かったにもかかわらず、自らの罪を深く認めて刑務所に留まることを選んだ人たちがいたというのは、日本人として誇りたい感じだネ。

 具体的に取り上げられているのは中田さんという人で、フィリピンで住民(特に華僑)を大量殺人したことを己の罪として意識し続けて釈放されることを拒み続けたという。長らく刑務所に留まった後に出所して、その後は平和な生活を送ったそうだ。岸信介にも同じように罪を感じて出所を拒否し続けていてくれたら、安倍晋三のような極悪人(自分のために役人を自殺に追い込んだ)は存在しなかったかもしれないのにネ。

 

 NHKテレビでは9時のニュースウォッチで捕虜第一号を取りあげていた。航空機と同時に真珠湾に潜入して攻撃を目論んだ潜航艇乗務員で、10人の中の1人が攻撃に失敗して捕虜になったという人物。『シドク 漱石から太宰まで』で論じた坂口安吾「真珠」ではいかにも成功したと語られている「軍神」だけど、当時は作戦大失敗ということは伏せられていたので已むをえなかった(記事が公表されたのは戦後の話)。ともあれ驚いたのは捕虜になってしばらくは食事も拒絶して死にたがっていたそうだけど(捕虜になるより死ねと教育されていたから、ゼロ戦乗務員も自殺用のピストルを首に下げていた)、時間をかけて生きることを選んで戦後は日米の懸け橋たらんと活躍したとのこと。捕虜になった経験はずっと秘めていたけれど、最近(?)やっと語ったとのこと。

 (長くなるから、新聞からの情報は別に記すことにするネ。)