【読む】北川秀人さんの太宰論(3)  「花火(日の出前)」論

 北川さんから送られた太宰論は「富嶽百景」論だけではないことは記したとおりだけど、もう1つの「花火」(表題は後に「日の出前」と改題されたけれど、いずれにしろハマった題ではない)の論は作品自体を読んだ人が稀だろうから、感想は個人的にメールすることに決めていた。しかし作品としてのデキはともあれ、種々考えさせるテクストであり、北川論が提起している問題も読者に面白いヒントを与えているので、作品と北川論の問題提起だけを紹介しておきたい。収録されている新潮文庫では絶唱「きりぎりす」が文庫名になっていて、小さな大傑作(で桐原書店の教科書に採録されている)「畜犬談」も収録されているので「一家に一冊」の文庫だネ。

 あらすじは以下のとおり。

 洋画家のバカ息子の話なのだけど、この父親は医者の息子ながら自分では好きな絵の道に進みながら、自分の息子には医者になるように強いる。息子の方は例えばチベット行きを夢みながら放蕩を尽くしている。遊ぶ金に窮するといつも妹にせびり、あげくの果ては妹の着物を質屋に入れるようになり、妹はそれを父母に秘密にしながらもやがては兄にせびられて自身が質屋に通うようになる。兄は父親の絵まで売って友人との遊興費にあてがうようになる始末。絵画を盗み出すことを示唆したのは友人の有原であり、その在原に連れられて買春したあげくに性病までうつされている。

 問題はその妹が徹底して兄の言いなりになって金作りに励みつつも、兄をとがめることもなく親に対しても弁護し続けることだ。兄は女中にまで手をつけたり・母の装身具を売り払ったり・父の印鑑を持ち出して金を借りだす。《何か事件が、起こらざるを得なくなっていた。》と語り手が誘導するように、井の頭講演で事件が起こる。

 酔った兄から妹に電話があり、公園の料亭に200円持ってこなければ「兄さんは死ぬかも知れない」と切々と訴える。「改心したんだ」という言葉を真に受けて「もう一度、兄さんを信じたい」と母に懇願すると、驚いた母は父に告げるものの嘘を見抜いている父は素っ気ない。妹の必死な思いに同調した母が渡した100円を持って出かけると、たまたま寄ったという在原が今日の兄の様子がいつもと違うと言う。金は2・3日泊まったらしい料亭に支払われたらしく、兄は妹に「泊まって行っていいぜ。淋しいんだ。」と言う。

 帰ると言う妹と共々、何かを察したような在原が月夜の散歩に誘い出す。そこへいきなり父が現れるが、乗り捨てられたボートに兄が乗って在原を誘うが断られる。動き始めたボートにいきなり父が飛び乗ると2人が乗ると、「ピッチャとオールの音」と共に小島の陰に姿が消える。妹は、

 「また兄さんに、だまされたような気がします。七度の七十倍、というと・・・」

と(太宰が愛読した)マタイ伝の言葉をつぶやく。それを聞いた在原は「僕たちも悪かったのです。」と反省しつつ名言を吐く。

 「お互い尊敬し合っていない交友は、罪悪だ。」

 この言葉が身に沁みない読者には、太宰の人間関係(と文学)は理解しがたいだろうネ。

 

 何だか個人的な感想のそれた感じなのであらすじに戻ろう。

 「パッチャとオールの音」がしてボートが島の陰から現れるが、兄は乗ってない。父によれば橋の所で上陸してしまったというが、静かに帰りを促す父につられて父子は帰宅すると、翌朝兄の死体が発見される。事故死か自殺かは不明ながらも落着しそうながらも、保険会社から父が兄にかけた大金が明かにされる。友人を含めて全員が警察の取り調べを受けるが、語り手である「作者」の関心は別にあった。

 《この不愉快な事件の顛末を語るのが、作者の本意ではなかったのである。作者はただ、次のような一少女の不思議な言葉を、読者にお伝えしたかったのである。》

 誰よりも先に釈放された妹は、励ましてくれる検事に向かって《世界の文学にも、未だかつて出現したことがなかった程の新しい言葉》を告げる。

 《「いいえ」少女は眼を挙げて答えた。「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました。」》

 あらすじが長くなったけど、テクストは衝撃的な妹の言葉で閉じられている。いかにも太宰的なストーリーと閉じ方だと思われるのだけど、どうかな? これを北川さんがどう料理しているかは機会を改めて! それまでテクストを自分で読んで考えてもらうのが一番だネ。先行研究にはカフカ「変身」と読み比べたものも複数あるというから、「変身」も読んでから考えてみたら面白いだろネ。