【見る・読む】頼朝(2)  太宰治「右大臣実朝」と小林秀雄「実朝」  「愚管抄」と「吾妻鏡」  塩野七生「ローマ人の物語」

 頼朝の発言などは歴史書にも記されているものがあったけど、「鎌倉殿の13人」の北条時政(義時の父)は実像とは極端に違った印象だネ。ドラマではだいぶ戯画化して演じられているけれど、「日本の歴史」に限らず史書によるとだいぶ武士としては腕がたつ上に陰謀家であったようだ(再婚相手の牧の方に従ったというのはドラマでも変ってない)。陰謀家といえば当の義時も時政の上を行く策謀家であり、牧の方に操られた時政の陰謀を阻止して隠居させた後は、手荒な時政の手法とはことなり表立たずに己の考えを通すのにたけていたのは周知だろう。その点を三谷幸喜がどうドラマ化するのか楽しみではあるネ。

 ボクの大好きな太宰作品である「右大臣実朝」でも、義時の〈暗さ〉は実朝の嫌うところだったしネ。実朝については、最初のシドクである『漱石から太宰まで』の収録論文を参照してもらいたいネ。小林秀雄の「実朝」と太宰作品とを比べて論じたものだけど、小林が少しだけ引用している「愚管抄」(慈円)では、北条氏が2代目将軍頼家を修禅寺に幽閉した上で暗殺した時に、風呂に入っている時に襲って睾丸を抜き取ったとか記してあったので驚いたのを覚えているヨ。先日該当箇所を「愚管抄」で確かめたけど、文章が入り組んでいるし固有名詞は知らないものばかりなので、註を参照しなければ文意がたどれなかったネ。北条氏が自己正当化のために鎌倉時代の歴史をまとめたと言われる「吾妻鏡」も数冊持っているけど、その辺りは読んでないナ。

 

 もう一度千葉に渡った頼朝に戻ると、ドラマでなかなか頼朝の下に結集しなかった上総介(佐藤浩市)を頼朝が叱りつける場面があったので、三谷がツクったなと察していたけれど「日本の歴史」によると史実らしいヨ。叱られてからは2万の兵力を率いて頼朝軍に加わったというのも史書に記してあったから、ドラマでツクったわけではないのだネ。2万というのは信じがたいものの上総介の家では千葉氏のように、挙兵以前から北条の頼朝宅に出入りしてなかったのかな。

 ともあれ「鎌倉の13人」のお蔭で「日本の歴史」を読む機会が得られたので、とても楽しんでいるヨ。それなのに今日は買い物ついでにブックオフに寄り、兼ねて目をつけておいた塩野七生(ななみ)『ローマ人の物語』Ⅴを買ってきたヨ。このシリーズは大阪のトモ君に言われるまでもなく数冊持っていたけれど、カエサルルビコンを渡った後の活躍を叙した肝心のⅤ巻は持っていなかったからネ。だいぶ前にこのシリーズをワクワクして読んでいた時があったけど、今は鎌倉時代を優先して読みたいネ。