【ゼミ部】中上健次「邪淫」(2)

 「水」と言えば「火」も気になるところではあるけど、既に引用した末尾の1文にも「家に火をつけ」と語られていた。サトマン君は若い2人がセックスで燃えることと、実際の火が燃えることをつなげようとしたけれど、それはバシュラール「火の精神分析」に重なったしまうから避けた方がイイね。ヒッキ―先生の教示によれば、初期中上テクストには「火」と「水」が頻出するそうだけれど(作品集『邪淫』にも「水の家」という表題の作品が収録されている)、実は初参加の北川秀人さん(先般ブログでその論文2本を紹介したばかり)が研究している太宰治のテクストも「水と火」で論じることができることがるのだネ。

 作品名が出てこないのだけど、エピグラフ生田長江か春月だったかの翻訳のフレーズを使っていて、「豊かに水がたたえているけれど、元は火の山だったとは見えないだろう」とかいう言葉があるのだネ。(生田長江は今読んでいる神村和子さん(メイ)の「駈け込み訴へ」(太宰)論にも、その「超近代派宣言」が利用されていて驚いたヨ。)太宰のみならず横光利一はじめ、大正期から昭和はじめの頃は生田長江の翻訳(や作品)は広く読まれていたことは知っておいた方がイイね。

 

 ケイの右耳が聞こえないという設定をどう読むかというのも議論になったけど、文学史的に言うと(と言うと変だけど)耳の無い娼婦が出てくる梅﨑春夫「桜島」のイメージがあまりに強烈だったので、その後伊藤整が同じように耳を小説に出したら散々にたたかれたことがあったのだヨ。ケイの耳が聞こえないというのは、ボクには情報を拒否している様態というくらいしか浮かばないけど、何か面白い読み方があったら教えてもらいたいネ。

 ジャズの読み方も提起されたけど、個人的にはモダンな感じなのでジュン(と彼が生きる世界)にはそぐわないで違和感ばかりだけれど、ジャズ好きなヒッキ―先生からするとそうでもないとのこと。ジャズにもいろいろあるのは知ってるけど、ジュンが聴いているのはモダンジャズだか何とかジャズだろうと言われてもピンと来ないネ。

 「邪淫」は実際の事件にもヒントを得ているとのことだけど、秋成作品と同じくあまり引きずられない方がイイね。中上健次はあふれるほどの才能で書けるので、現実に起きた事件に頼るほどのヤワな作家じゃないと思うからネ。

 

@ 次回は4月末か5月初めにイー君が発表してくれるとのことです。

 もちろん他にも希望者がいれば連絡下さい。