【読む】神村和美さんの太宰論  「再帰性」  語りの「上書き」  岩井克人「ヴェニスの商人の資本論」 

 すでに紹介した『昭和文学研究』第84集に掲載されたメイ(神村和美)さんの、

 太宰治「駈け込み訴へ」論――ユダの「再帰性」を主軸に

を読み終わったところだヨ。近年になく素晴らしい太宰論だ! 一読をおススメだネ。

 「再帰性」というのはどの程度流通しているか知らないけど、社会学の術語らしい。

 《スコット・ラッシュによると、再帰性とは、行為作用が社会構造による束縛から解放されることで社会構造に反映を及ぼす《制度的》再帰性、行為作用が自らに影響を及ぼす《自己》再帰性の二つに大まかに分けられる。》

 (『再帰的近代――近現代における政治、伝統、美的原理――』)

ということなのだけれど、何のコッチャ? という印象だろネ。ラッシュ以外にウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンス、ジョン・アーリ、中西真知子などの名も注にでてくるけど、メイさんの論はそれ等を上手く利用して太宰テクストをとても面白く論じている。そこがミソ!

 メイさんは《なお、「再帰性」とは、システムに対する批判的モニタリングを通し修正を働きかける在り方を意味するが、ここでは主にギデンズの「自己再帰性」――「自身の個人的な自伝的ナラティブの組織化のなか」での「再帰性」を指し、エージェントは自己モニタリングを通じて自身の行為に言説的解釈を施すという概念――に依拠する。》と言い換えているので、少し分かった気になるかな。《自己モニタリングを通じて自身の行為に言説的解釈を施す》とは、要するに《次々と上書き修正されるユダの言表が彼の主体性に帰結してゆく語りのダイナミズム》と言われるとナルホドと思える。ユダの動揺する語りが「上書き」という言葉で上手く捉えられていて、この言い回しをくり返すことによって論が展開していく。

 メイさんは「再帰性」という概念を「援用」してユダの言表を考察すると前置きしているけれど、大事なのは

① 上記のように難解な概念を充分に理解して使いこなせること。

② その概念を使ってテクスト分析できるように、テクスト自体が十分に読めていること。

の2つなのだけれど、両方とも果たせていない論が氾濫している傾向は抑えきれない。ボクは在職中から、「新しい理論に飛びつく気持は分かるけど、生半可な読みで使用すると危険だヨ」とくり返してきたし、『シドクⅡ』の前書きでも《他人のフンドシで相撲をとる(論文を書く)のが恥ずかしく、苦手だったのだ。》と告白したとおりなので、メイさんの優れた理解力と手際の良さには感心するばかりだったネ。身近な人による、1つの模範として学ぶべきだネ。

 なお「援用」されているのは、他に阿部謹也の「世間」論や岩井克人の「貨幣論」などがあるけれど、後者はともあれ「世間」論はわざわざ引用するほどのものなのかなと思ってしまう。阿部謹也といえば何と言っても「ハーメルンの笛吹き男」の抜群の面白さなので、誰でも書けそうな「世間」論などに後退した時はガッカリしたせいかな? メイさんなら「世間」論無しでも論じることができたと思うのでネ。

 ついでながら経済学者の岩井克人の文学論としては、「ヴェニスの商人資本論」は絶対一読しておくべき本だネ。夫人の水村美苗さんとの共著という面もあるのかもしれないけれど、とにかくハチャメチャに面白い。桐原書店の教科書にも採用したこともあるほど、分かりやすいしネ。同名のちくま文庫に入っているけど、「ヴェニスの商人資本論」自体はその一部でしかない経済学中心の論文集だヨ。

 

 元ネタの書からの引用をした上で、それをメイさんがどう「援用」して論文を構築していくのか、その細部は自分で味わってもらいたいネ。勉強になるヨ。