【読む】やまなし文学賞  十重田裕一さんの横光利一論

 21世紀のヒットラープーチンのことばかり書かずにいられなかったので(まさか24回も記すとはネ! でもまだ書きとめておきたいこともある)、他に書きたいことがたくさん溜まってしまったヨ。というわけでそれぞれ簡略にしながら書きとめておきたい。

 まずはやまなし文学賞の評論・研究部門の受賞が、おおかたの予想どおり十重田裕一さんの『横光利一と近代メディア』に決まったのは順当と言えるだろう。本書に問題があるとすれば、定価がクソ高い(8000円+税)点くらいのもの。それでも安藤宏の『近代小説の表現機構』に比べれば600円安価だけれど、岩波書店は出す(残す)ことばかり考えて(入手しやすい定価で)広く読んでもらうという配慮に欠けているのが出版社としての欠陥だネ。

 ともあれ興味深かったのは、毎年2編ずつ授賞することになっているそうだけど、今年は本賞始まって以来初の1編だけになったという。その理由は十重田さんの書以外では議論沸騰し、2編目が決められなかったとのこと。温厚な人柄の中島国彦さんは別にして、兵藤裕己や関川夏央という「クセの強い」3人で選考するのだから、フツーに考えればまとまりようがないだろネ。候補作として何があったのか、去年出版された書が想起されえないのはボケのせいだけど、一昨年だったかシュン爺(山田俊治)の評伝『福知桜知』以外に同じ評伝だというだけで井上隆史の三島本に授賞したイイカゲンさを思えば、今回2冊目が決まらなかったのはキチンと議論したという証拠だろうネ。

 元来この賞はいくら優れた書でも若い人には授賞しない傾向があり、遡れば選考当初は山梨文学館長・紅野敏郎さんの身内のワセダ重視や、選考委員・十川信介さんの趣味による偏向が独断専行(選考)に奔っていたので、短期間で選考委員を辞した人もいたものと察している。それに比べれば兵藤・関川両名は「クセは強い」ものの、クセ故に個人の段階に止まった判断をしているだろうから、説得力の無い授賞には加担しないと思いたい(井上隆史への授賞がシュン爺のワセダとのバランスでトウダイが選ばれたワケじゃあるまいし)。中島さんは公正な方だから、無理してワセダを推すようなことはしないものと思われるしネ。

 ともあれ十重田さんにしても、安藤さんや山田さんにしても、その書はまぎれも無く読むに価するものだからおススメだヨ!