【状況への失言】日本連合赤軍・重信房子の「おわび」

 今日(28日)の朝日新聞(夕刊)に「重信房子元最高幹部が出所 日本赤軍 被害者に「おわび」」という見出しの記事が載っていた。取材に応じて重信の言葉として、

 《50年前の戦いで、人質をとるなど、見ず知らずの無辜(むこ)の人たちに被害を与えたことがあった。おわびします。今後は病気の治療に専念します》が紹介されていた。ハーグでフランス大使館を占拠したり・テルアビブ空港で銃撃によって100人を死傷させた事件などを起こしたことが記されていた。連合赤軍がとんでもない時代錯誤でさまざまな事件を起こすたびに、ハッキリ言って呆れて腹立たしい思いをくり返したものだ。事情を知らない今時の若い人は、全共闘運動に関わったと言うと連合赤軍に対しても共感を抱いていたと誤解しがちだけれど、全共闘運動は大衆的な闘争であり連合赤軍は革命闘争を志向する少数者のものである点で、全くことなるのだナ。

 政治的な左右の方向性は問わず、一般的に過激な方針を提示する側の主張に引きずられていくものなので、当時は全共闘運動の大衆性が結果として有する限界(戦闘性の劣化)を突破するために、少数で過激な闘争を展開する道を選ぶ者たちが現れたわけだ。重信も関わったらしい中央大学学費値上げ反対闘争が大衆的に勝利を獲得した際に、闘争を領導したブント(共産主義者同盟新左翼全学連の三派連合の1つ)の連中は「革命」としては後退だと総括しつつ、泣きながらバリケードを撤去したと聞いたことがある。

 そのブントから派生した日本赤軍は、全共闘運動が下火になった状況下に組織されたもので、少数者で効果的な政治事件をもくろむ行動をくり返したわけだ。キューバ革命毛沢東主義を理想化した「革命闘争」は、彼ら以外に誰も実現性を疑う時代錯誤の状況認識で、《見ず知らずの無辜の人たちに被害を与え》るだけのものだったのは当然の結果だった。キューバや中国などの「後進国」ならともかくも、「先進国」で武力革命が果たされた歴史は皆無であり起こるはずもないのは自明だろう。

 《リハビリしつつ、一歩ずつ社会へ踏み出したいと思っています》とも重信は記していたそうだけど、素直でイイと思ったネ。

 

 実は重信房子についてはよく知らないので、「最高幹部」というから最初は永田洋子と勘違いしていたヨ。永田洋子と言えば、10名以上の仲間をリンチして殺した極悪人で、連合赤軍のためにも不名誉でマイナスの存在。それが刑期を終えて「社会へ踏み出したい」とは許せねエ! と思ったら人違いだった(これもボケかな)。