【読む】大原祐治の安吾評伝  山根龍一の安吾論  浅子逸男の安吾論

 山本勇人さんの小林秀雄論の紹介は小林作品を読むこと自体からしてメンドクサイ上に、それを論じている山本さんの論文も引用されている先行論も含めて難しいので、ひたすら疲れるのだヨ。その(2)も書き始めたけど、なかなか続ける気力が湧いてこない。大原さんの安吾本をいただいたことにも触れたけど、こちらはスゴク魅力的で放っておけないので昨夜本格的に読んでしまった。

 『戯作者の命脈 坂口安吾の文学精神』(春風社、4000円+税)

 頂戴してすぐに拾い読みはしていて、昨夜も拾い読みのつもりだったものの読み始めたら止まらなかったネ。論文集ではなく評伝文学の類と言っていいだろネ、ことのほか読みやすい。そもそも大原さんの論文も読みやすい方だけどネ、いま難儀している山根龍一さんの論文はまるで数学の証明問題をチェックさせられている感じで、とても疲れる。若いから仕方ないのだろうけど、言葉の力に対する信頼が無いのだと思う。ひたすら数学の記号のように言葉を使っている印象だヨ、ボクが数理系が嫌いなせいかな? 論文末の(注)がむやみに多いのも、証明問題だと勘違いしているためだと思う。不要と思われる(注)が多すぎる感じだネ。

 

 そう思って大原さんの論文集『文学的記憶・一九四〇年前後』(翰林書房)を見たら、やっぱり(注)がたくさん付いていたヨ(笑)。不要かどうかは読み返さないと分からないけどネ。今度の本は評伝と言ってよさそうなもので、読みやすさにもつながると思えるのは、(注)がまったく無いので気持よく読める。《読み物》が書ける人なンだネ、安吾研究者でも数人しかいないだろうけど。熟練しないと《読み物》を書ける域には達しないと思うけど、安吾研究で一番熟練している浅子逸男さんも書ける人だネ。大原さんの評伝に参考になった論の書き手として浅子さんの名前も出てきたけど、それも納得だネ。

 在職中から安吾に没頭するようなことを言いふらしていたものの、実行が伴わないので原卓史さん等から叱られてばかりいるけど、昔から一点集中できないタチなのだネ。安吾に強く惹かれるのだけど、他にも興味が移るので安吾全集も安吾論の本も自家にいながら常に視野に入っているものの、この数年ずっと放置されたままの感じかな。山根さんの本を読んでいて気付かされたのだけど、安吾作品も安吾論も重要なものなのに未読のものが多いのに吾ながら呆れたネ。安吾については全くのシロウトなのに、よくも論文を発表してきたものだヨ。

 原さん等に叱られながらも、安吾をまったく忘れたわけではないのは、キチンと問題意識を抱いて安吾を読もうとする気持はあるのだネ。その1つが安吾の自伝的な作品についてで、なぜ安吾はこの手の作品を断続的に書いたのか? 自分なりに考えようとしていた矢先、大原本の目次に第5章「歴史と自伝、あるいは歴史としての自伝」とあったので読み始めたら止まらなかったというわけだ。いろんな文献が次々と引用されていて圧倒されるけど、大原さんなりの結論に全部納得というわけにもいかないネ。ともあれそこに前記の浅子さんの名前が出てきたのだネ。

 「『三十歳』における虚構について」(『叙説Ⅲ』19、2021・11)

 浅子さんが先般コピーを送ってくれたのを、気になるからずっと仕事机の傍に置いてあったのだけど、大原さんの本を読んでたらこの論が参考になったと明記されているのだヨ、良心的だネ(パクっておいてトボケているヤツも多いからネ)。ともあれこれから読むのが楽しみだヨ。山本勇人さんの小林論の感想が、また遅れそうだネ(こんな風に何でもまとまらないままに時が過ぎて行くのがジンセイなんだろネ)。