【読む】山本勇人の小林秀雄論(2)

 小林秀雄に関しては新全集(2001~2年)が整備され、研究者にも一般読者にとっても従来の小林像には収まりきらないものが感じられるようになっているかもしれない。のみならずその後も新たな資料も発見され、その傾向が強まっているようだ。山本論は新資料まで吸収した上での行論で信頼に値するものの、それに説得されるか否かは読む側の問題だ。ましてや昔、小林秀雄を論じて1書にまとめたことのあるボクのような立場だと、新しく発見された資料を読んでも動かされにくいのもご理解いただけよう(『小林秀雄への私的試み 〈関係〉の飢えをめぐって』1992年、洋々社)。

 多くの著名な文学者の場合と同じく、小林秀雄が生前発表したものの厖大な数量に比べると新資料は圧倒的に少量なので、それまでの小林像に変更を要求するほどのものが現れるとも思えない、というのが素直な受け止め方だろう。個人的な印象からすると、ボク等が読んだ旧全集(1968年頃)に収録されてなかった作品としては、文芸時評「文学の伝統性と近代性」(初回の表題)1937・12・25~29)が旧全集が排除した動揺する小林秀雄のイメージが露わな文章だと思う。それまでの小林秀雄らしくない動揺ぶりが露骨に現れているので、新全集で一読を勧めたい。

 「様々なる意匠」で文壇デビューして以来、すべてを見透すことができるという確固たる位置から文学界を批評し続けていた自己完結を破り、あえて世界が見えない立ち位置に己を据えることで〈他者〉に向かって自らを開いた結果としての「動揺」ぶりが、旧全集からはほとんど読み取れない小林像としてこの文芸時評に現れているというのが拙著の主旨だった。その後に発見された新資料が、この「文学の伝統性と近代性」ほどの衝撃(?)をもたらしたとは思えないのだが、どうだろう?

 

 もう1つ大事なポイントは、まさに山本論が問題にしている「戦時下」の小林の活動が不分明なままな点だ。小林論を書いていた頃の一番不可解だったのもそこだった。殊に山本論が提起しているように、1943・12~44・6の期間は小林が独りで中国に渡って大東亜文学者大会実現のために活動したという実態は、小林自身も書き残していないだけでなく他からの証言もほとんど

 

@ ずいぶん前に書き始めて放置したままだけど、保存した下書きを呼び出すのに困難を覚えているので(パソコン音痴もあるけど表示が変ってしまったのが主因かな?)、念のため途中のままアップしておくネ。