【呑み部】リンリンを励ます会

 ボクが在職中にリンリン先生に非常勤講師として学大に来てもらったことがある。ゴーゴリの「外套」と龍之介作品との比較をしていたという記憶がある。リンリン先生を懐かしく思っている卒業生も少なくないだろう。

 

 部活というわけじゃないけど、25日はリンリン中心に4人で呑んだヨ。リンリンが中心というのはダンナが昨年亡くなり、その後はずっと落ち込んでいる様子だからネ。学界のスケバンとして知らぬ者とてないリンリンが落ち込むなんて信じられないムキも多いとは思うけど、2人の夫婦仲を知っている者からするとヤッパリという気持と、そこまで落ち込む? という両方の印象だネ。ダンナはなかなかの人格者(専門は日本思想史)であり、だからこそリンリンを手なずけることができたということなのかな? あのリンリンが大人しく従っている姿を初めて見かけた時は感動したもンね。おおむねリンリンのワガママを許容しながらも、抑えるべき所は抑えていた感じだったネ。心と心が離れがたく結びついていた夫婦だと言えるだろネ、ジャミラにやりたい放題されているボクには信じがたいけどサ。

 ボクは亡くなったのを知らずにリンリンに年賀状を出したら、寂しそうな語り方でダンナの逝去を報せてきたヨ。花も酒も贈らずに、呑みたくなったらいつでも連絡してくれと真情を吐露した返事を出したら感じ入ってくれ、ボクの手紙をダンナの位牌に捧げてくれたとのこと。実はダンナとは2~3回一緒に呑んだだけなのだけど、大げさに言えばすぐに意気投合した感じを抱いたものだ。1度目は近代文学の仲間が国立に集まって呑んだ時なのだけど、リンリンがダンナに「(専門が違うのだから)アンタは帰ンなさいヨ」と冷たく言っていたのを、ボクがダンナを拉致して一緒に呑んだのだネ。上記の感動体験からそうしたわけだネ。リンリンの博士論文審査の時も、審査員候補に僕の名前が上っていたら(リンリンは敬遠気味だったらしいけど)ダンナがボクを勧めてくれたのだネ。

 

 ともあれ当日5時から中野「第二力酒蔵」(呑み部その他でもよく利用する店)でということだったけど、会議で3人が遅れるのを呑みながら待ったヨ。ツマミは大好きなサザエの刺身(時価)とツブ貝(希望したアオヤギが品切れだったので)の刺身で、ビールをとばしていきなりシャブリ(白ワイン)のボトルでシアワセだったネ!(ツブ貝はマズかったけど)。(むかし東伊豆で昼に1人で食べて以来の)でっかいサザエだったので肝も大ぶりなのを5つくらいに切り分けていたのを、肝が苦手なボクは手をつけずにいて3人に食べてもらって喜ばれたヨ。 

 リンリンが魚の刺身をというので盛り合わせを2人前頼んだけど、前回感激したカツオがそれほどの味でなかったのは時季が良くなかったのかな? その他もこれといった魚はなかったのでリンリンが太刀魚の焼き魚を注文したけど、ボクは学生時代から半世紀近く太刀魚が美味いと思ったことがなかったので(先般の釣り部で出された時も)、その旨をリンリンに伝えたけどリンリンは美味いと言い張っていたヨ。リンリンとボクはいろんなことで意見を異にするのでしばしば「論争」をするのだネ。人の好みも人それぞれに違いないけど、由緒正しい(?)家庭に育ったリンリンは早くから太刀魚を美味しく食べてきたのだろネ。北関東育ちのボク(と他の2人)等は、刺身といえばマグロしかなかった生活だったから、上京するまで太刀魚など聞いたこともなかったネ。焼いた太刀魚をリンリンから分けられたアッちゃんやサッちゃんがどう感じたかはハッキリしなかったけど、きっと美味いとは思わなかっただろネ。

 ボクが勧めたのは小アユの揚げたのやメゴチの天ぷらだけど、3人とも美味い! の連発だったヨ。小アユというのは釣り部で毎年行っていた大洗・那珂湊の稚アユ(3㎝足らず)とは異なり、4~5㎝だからハラワタの苦みも十分で美味そのもの。メゴチの天ぷらはボクは昔からキス天よりも好きだネ。酒はボクはシャブリをちびちび呑んで足りた一方で、他の3人は日本酒を何種類か呑んでたネ。

 呑みながら1度ならずボク等を見すえながら、リンリンは「なんでダンナが死んでお前らが生きているのだ?!」と洩らしていたけど、目の前にいる男たちの中にダンナがいないのが納得できないのだネ。いかにもリンリンらしい率直きわまる発言で、リンリンを理解できない人なら立腹するところだろネ。ボク等3人は「また始まったナ」くらいの受け止め方で済むのだネ。言葉は時にキタナクなるけど、心はキレイな人間なのだヨ。時々他者も社会も無くなってしまう幼い子どもの心の持ち主なンだネ。

 会計は「励ます会」の提案をリンリンが素直に受け入れてくれたので3人で割った、まずは大成功といったところだネ。

 

 会そのものは上手く行ったのだけど、帰りがタイヘンだったネ。リンリンが酔ってまともに歩けず、道端にへたり込む始末だったからネ。幸い人通りの少ない道を選んだために、へたり込んだまましばらくの間待ったヨ。両側で支えながら中野駅から乗ったのだけど、「老人席」の乗り場から乗ったら坐っていた客がすぐにリンリンに代ってくれたヨ。と思ったとたんにその隣りとその隣りの客もアッちゃんとボクに籍を譲ってくれたヨ(サッちゃんは逆方向)、日本の若者も捨てたもンじゃないネ。アッちゃんと2人でリンリンを国立まで運び、タクシーに乗せたところで一件落着!

 (と思っていたら、2日後の今日リンリンからメールがあり、感謝の言葉と泥酔の詫びの言葉た寄せられた。タクシーから無事降りたけど自家に入るまで転んで立ち上がるまで時間がかかったとのこと。翌日の昨日は二日酔いで何もできなかったそうだヨ。)