【状況への失言】辻政信=「絶対悪」(=プーチン)  ノモンハン事件  インパール作戦

横光の小説(「微笑」)のけがれのない微笑をもつ青年は発狂死した。まともな日常のおのれに帰れば、殺人兵器を完成させようとしていたことは神経的に耐えられない。精神を平衡に保とうにも保たれない。ふつうの人間とは、おそらくそういうものであろう。戦後の辻参謀は狂いもしなければ死にもしなかった。いや、戦犯からのがれるための逃亡生活が終ると、『潜行三千里』ほかのベストセラーをつぎつぎとものし、立候補して国家の選良となっていた。議員会館の一室ではじめて対面したとき、およそ現実の人の世には存在することはないとずっと考えていた「絶対悪」が、背広姿でふわふわとしたソファに坐っているのを眼前に見るの想いを抱いたものであった。

 

 半藤一利ノモンハンの夏」(文春文庫)の後書きというのを、検索してコピペしたもの。朝日新の連載記事である原武史さんの「歴史のダイヤグラム」の7月2日に、ずっと気になっていた辻政信という名前が出てきたのがきっかけだった。戦争というと様々な極悪人の名前が想起されてくるけど、国内でいうと辻政信がその代表例。以前テレビでノモンハン事件の特集を見ていたら、この愚か極まりない作戦を作ってたくさんの将兵たちを無駄死にさせた参謀として、辻政信の名前が忘れられなくなってしまった。

 日本のものよりレベルがはるかに高性能なソ連の戦車が日本軍陣地を圧倒しているというのに、陣を指揮していた部隊長に退却を許さず、兵たちの命を守るために退却させた責任を部隊長にとらせた(自死を命じた)残虐な無責任男として辻政信が記憶されたのだ。戦争中は戦車隊に属していた司馬遼太郎が、戦車の鉄板の厚さではソ連製が日本製の数倍あり、日本の戦車など簡単に砲弾で貫通されるとテレビで証言していたのを見たことがある。

 ノモンハンが典型ながら、日本の軍隊は明治期の軍隊のリアリズムを完全に忘れ去り(乃木希典の203高地攻めは例外?)、非合理な作戦を連発してぼう大な将兵を無駄に死なせた、とは司馬がくり返していたものだ。ノモンハン事件について書きたいともくり返していた司馬は、その思いを果たさぬまま逝去してしまったものの、その遺志を継いだのが半藤一利で「ノモンハンの夏」を書いたのだろう。

 将兵たちの無駄な大量死というと、「白骨街道」の名が付せられているインパール作戦も有名だろうけど、ノモンハン同様にリアリズムを欠落した机上の空論を押し通して必然的な敗北を喫したわけだ。そもそもがアメリカ相手に戦争を始めてしまったこと自体が、明らかに敗北を結果する愚行であることは分かっていたはずなのにネ。

 

 「歴史のダイヤグラム」に戻ると、鉄道ファンの原武史辻政信の鉄道による逃避行を後付けようとしたもの。ビルマ戦線で辻を覚えていた男に声をかけられて危険を知り、逃げ隠れした《卑怯者》は結局ラオスで消息を絶ったそうだ。その辺の事情には興味がないものの、半藤さんが辻を「絶対悪」と決め付けた気持はよく分かる気がする。ヒットラーにしろスターリンにしろ、そして今やプーチンこそ「絶対悪」の名にふさわしい!