【状況への失言】極悪人・安倍晋三死すべし!→死ぬなら、謝罪してからだろ  追悼一辺倒の日本人の気持悪さ  民主主義の破壊者も死ねば許されるのか?

 イギリスのジョンソン首相の退陣は笑えたけど、イギリスがウクライナ支援を弱めることになったら、と案じると喜べなかったネ。安倍晋三が銃撃されたと聞き、正直「天罰」だと喜びつつもどうせ「憎まれっ子、世に幅かる」のだろうと諦めていたヨ。それが巨人戦ナイターが長引いている中に安倍がクタバッたと知り、まさかの展開に気持が晴々したネ。当初は「安倍晋三、死すべし!」と期待していたのが、「死ぬならその前に謝罪してからだろ!」という無念さもあった。何よりも財務官僚を(麻生太郎と共に)自死に追いこんだ責任が不問のまま逃げ回っていたからだ。

 財務官僚殺しだけではない、「もりかけさくらくろかわい」という汚職の連鎖も含めて「安倍晋三は死に値するか?」を問うことなく、テロリズム反対とヒステリックに叫ぶだけでは何の解決にもならない。残念ながら(?)犯人の動機には政治的主張はなく、母親が安倍晋三の組織する団体(さくらの会みたいなものか)への過度の献金を止めさせるための凶行だと証言していると聞いた。しかし犯人の動機はこのさい関係ない、財務官僚殺しをはじめとする安倍晋三の罪悪が死に値するなら、犯人の銃弾によらずとも安倍は死をもって罪を贖(あがな)うべきところだったのだから。

 

 というわけだから明確な論理抜きに「テロリズム反対」を叫ぶ連中はまったく信用できない、「テロ(暴力)反対」だけなら当たり前すぎてバカでも言えるからだ。そもそも安倍晋三の度重なる汚職の連鎖こそ、国民・国家に対するテロではないか! 国家(国会)の記録を自らの罪悪を隠すために書き換えさせるという(その結果、官僚を自死させる)前代未聞の悪行は、国家的テロリズムというほかない。

 人の命の重さなどいっさい感じられない、やりたい放題のワガママ人間に育て上げてしまった家庭教育(「育ちの悪さ」は麻生太郎と同じ)と、第1級の戦犯にして戦後民主主義の最初の破壊者として記憶される岸信介との悪の血縁を刷り込まれた安倍晋三ならばこそ、次々と汚職をくり返したわけだ。病気を理由に首相の座を去ったと思いきや、自民党最大派閥のトップの座に納まって政権に揺さぶりをかけるなど(ウクライナ危機のドサクサに紛れて日本の核武装まで主張したのがその最たる動き)、死ぬまで日本を戦争への駆りたてようとした安倍晋三が、凶弾に倒れたというのは結果オーライとするべきではなかろうか。

 

 それにしてもテレビも新聞も、安倍の悪行について完全に忘れ去ったようにスルーしてひたすら追悼に集中しているのはどうしたことか! 日頃から日本人の同調する強さには呆れるばかりながら、これほどスルー一辺倒とは信じがたいネ! 日本人の責任感の弱さの現れだとすれば残念だネ。「昨日の敵は、今日の友」という得意の掌(てのひら)返しなのかな、好かんネ。「昨日の敵は、今日も敵」というイチロー語録の名言を胸の奥にたたき込んで欲しいものだヨ。

 (止めどがないので、いったん切るネ。)