【読む】日高昭二さんの大正文学論(3)  有島武郎論

 本の表題にも使われている巻頭論文「重ね書きする/される有島武郎――ポスト・ユートピアの時代」を読んでからだいぶ経つので詳しい内容は忘れてしまったけど、「円光」論と同じく日高さんの圧倒的な知識量と教養の深さに感じ入ってしまった。戯曲作品である「円光」論は、演劇研究とは縁の無さそうな日高さんとしては想定をはるかに超えたその量と深さだったけど、有島武郎論の方はイメージを裏切らないハイレベルの有島論だった。

 というのも副題にも現れている日高さんの問題意識は、60年安保世代らしく革命思想家の名や大塚久雄が論文中にフツーに登場する。有島武郎同様に時代を真剣に生きた日高さんには、それ等の思想が血肉化されているのが伝わってくるので、ボク等の世代には無い重量感が論に出てるネ。個人的には親しみを感じて読んだ山田俊治さんや中村三春さんの有島論からは十分には感じ取れない思想問題が、日高さんの論からはゲップが出るほど伝わってくるので骨が折れるヨ。

 

 キーワードたる「重ね書きする/される」という概念はきちんと紹介しておかねばならないだろネ。

 《改めて、有島が談話でいう「大地」と「土地」には、その二つ、つまり自然経済と資本主義経済が微妙に「重ね書き」されていることが分かります。》

 《というのも、藤森の戯曲集(註ーー藤森成吉『磔茂左衛門』)の構成をみても分かるように、江戸の「義民」茂左衛門と現代の「犠牲者」有島が、いわば二つの時代を代表する存在として立体的・重層的に「重ね書き」されているとみられるからです。》

 《有島の重ね書きの柱には、宗教から芸術へという文脈があります。》

 くり返し何度も使われているキーワードの一部だけど、多義的に(時には恣意的にまで)使用されているもののそのつどの意味内容は伝わってくるので、議論が幅広く・ふくよかに楽しめる。そもそもボクは有島全集(筑摩)が出た時に全巻購入したものの、一部にはごく優れた作品がある一方で読んで楽しめる小説や理解できる評論が少ない(「惜しみなく愛は奪ふ」などはチンプンカンプンで挫折したまま)ので、求められるままに有島研究に志した留学生に全集と譲ってしまったヨ。それでも日高さんの論考は十分に理解できて楽しめるから、おススメだネ。

 単行本『磔茂左衛門』の古書は偶然持っているので、これを機に読んで少しでも日高さんのレベルで楽しみたいもンだネ。