【読む】『日本近代文学』第107集の書評・紹介欄  後藤絢子

 日本近代文学会の機関誌の最新号が届いたヨ。論文が5本だけのせいもあるのか、読みたいと思うのが無い。もちろん山里禎子や多和田葉子のような新しい作家についての論が掲載される時代だから、ボケ老人には付き合いきれないのだネ。「展望」欄も同様で4本とも差し迫った興味を惹かれないものばかり(沖縄の1本は別かナ)。それでも贈っていただいた著書が少なからず並んでいる「書評」欄は気になるので読み始めたところ。既にブログで紹介済みだけど、改めて著書名を記しておくネ。(カッコ内は書評子)

 松本和也『戦争と文学――言語分析から考える昭和10年代の文学場』(中野綾子)

 山根龍一『架橋する言葉――坂口安吾時代精神』(宮澤隆義)

 中丸宣明『物語を紡ぐ女たち――自然主義小説の生成』(岡英里奈)

 以上の3つの書評を読んだところだけど、上記2ケの書評は期待したほどの刺激を受けなかったネ。松本さんのはほとんど未読ながらも書評子が言うように「集大成」と言える著書ということであり、ここに至るまでのものは味読しているので書評は理解できたと思う。その上で新しい刺激を受けなかったということだネ。山根さんの著書については落掌してすぐに紹介した後、少しずつ拝読してそのつど感想をブログに記してきたけど、所論に違和感・不満が湧いてきたのをそのまま書いたものが多い。頂戴した著書はブログで紹介することで礼状に代えることにしているけれど、山根さんに伝わっているかな? 著書自体がボクには刺激に満ちているせいか、書評からの刺激が無かったネ。

 中丸さんは大学院の後輩なので出版に際しては背中を押したものの、著書の内容が守備範囲外なので(特に藤村や花袋)未読の部分が多い。そのためか書評がとても良い解説として読めてありがたかったヨ。想定を超えてレベルの高い達成のようだネ。以下の著書もブログで紹介済みだけど、書評はまだ読んでない。

 十重田裕一横光利一と近代メディア――震災から占領まで』(仁平政人)

 下山嬢子『近代文学に見る〈霊性〉』(永渕朋枝)

 

 「紹介」欄はいただいてないものの気になるものは読んだけど、中村三春『接続する文芸学 村上春樹小川洋子宮崎駿』はなぜ書評欄ではないのか理解できなかった。小川洋子は好きながらも宮崎駿については無知であり、ハルキにはそれほど興味が無く論じられているという「騎士団長殺し」も読んでないものの、宮崎幸平さんの紹介文に誘われてハイレベルのミハルさんの近著には興味を覚えたネ。坪井秀人(編)『戦後日本の傷痕』はたくさんの執筆者が興味深いテーマで論じている大部のもののようだけど、これもなぜ書評欄ではないのか理解できないネ。

 後藤隆基(編)『小劇場演劇とは何か』はとても面白そうであり、小劇場演劇第二世代のつかこうへいや第三世代の野田秀樹の追っかけをした身としては関心はあるものの、残念ながら読んでいるヒマは無いナ。でも紹介文に出てくる後藤絢子さん(人形劇団「結城座」の事務員)の名前を見つけてビックリ嬉しかったネ。一橋大院生の頃からの知り合いで、忘れた頃に連絡くれる人ながらこのところご無沙汰だったからネ。