【読む】今年の小説  斎藤真理子の研究書

 朝日新聞恒例の「回顧2022」シリーズが始まっているが、昨日は「文芸」だった。シリーズ中の「文芸」は毎年保存しているけれど、今年は保存にためらうほど自分とは無縁だったという印象が強い。今年の3作品を選ぶ3人の中の鴻巣友季子さんは翻訳者なのでどれも全く縁のない翻訳作品ばかりだし、あとの2人の選者は町屋良平(作家)と吉川トリコ(小説家)という未知の人(そもそも肩書を「作家」と「小説家」と腑分けしている意味も分からない)が最新の小説から選んでいるので、聞いたことのない作家の今年の作品が上げられているので、今までになく取り残された感じだヨ。もっともその感じは必ずしもマイナスじゃないので、全然悲観していないのだけどネ。

 『シドクⅡ』の前書きで、「一貫して他人のフンドシに依って論文を書いたことはない」などと書いたため一部のマジメな研究者を傷つけてしまったけど、他人の理論に頼っていると自分が書いている気がしないからだネ。時代遅れという非難には慣れ切ってしまっているけど、「遅れ」ようが「進め」ようがそこに価値を見出せないのだから仕方ない。時代の流行りに乗り続けていても、虚しいだけの気がするしネ。

 それはともかく、2人が選んだ6名の選ばれた作品の中に実は知っている名前があったので、チョッと嬉しかったのだネ。吉川トリコが選んだ

 斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス

がそれなのだけど、覚えているかな? 放送大学「世界文学への招待」で感心して聴いていた講師で、斎藤美奈子の妹だったので驚いたという人ネ。選ぶ際に小説に限定しているのではないのが分かるけど、吉川が選んだ理由として《文学を通して韓国現代史を見つめ直す。日本の植民地支配がなかったらまったく違った歴史があったのだろう。》と付している。講義を聴いていた時の印象で斎藤さんの著書なら読んでみたいとも思うものの、この短評を読むと文学離れしているようで読む気が殺がれるネ。

 

@ きょうは更新記事が多いと思われるだろうけど、テレビで「釣り百景」(BS-TBS)や最近一番興味を覚える「ヒューマニエンス」(BSプレミアム)等々を見ながらブログを更新しているわけだネ。昼間も更新していたから、今日はあまり読書してないし、これから呑むので仕事日じゃないのだネ。たまにはこういう日があってもいいのサ。