【読む】最近の読書  柄谷行人『終焉をめぐって』(論文集)

 しばらく現在の読書中の歩を記してないネ。常時10冊以上、読み始めたまま放置してある本がある(この数年間放置してあるのを入れれば軽く30冊はある)のだけど、最近は久しぶりに柄谷行人を読んで改めて感心している。柄谷は最近やたらと風呂敷を広げているけれど(皮肉のつもりは皆無)、文学から思想の方に舵をきった頃からあまり読まなくなっていた。ところがある仲間がハルキ論を書いていて、その草稿に柄谷のハルキ論が紹介されていたので読んでみた。

 「村上春樹の『風景』--『1973年のピンボール』」という論だけど、初出の『海燕』のコピーは持っていたものの未読だった。読んだのは『終焉をめぐって』で1990年の初刊本だから、何を今さらと思われるだろネ。たぶん亡くなったミッチャンの遺本だろうけど、懐かしいネ。ヒッキー先生が院生の頃、一緒にボク(昭和文学会・会務委員長)を支えてくれた人で忘れがたい。

 新しい長編も読んでないくらいだからハルキ論はあまり読まないけれど、さすがに柄谷は読みごたえあるしいろいろ教えられるネ。やはりレベルの違いを感じさせる面白さだから、一読をおススメするヨ。この書の冒頭論文は、

 「一九七〇年=昭和四十五年ーー近代日本の言説空間」というのだけど、当初は表題だけで「思い付きだけだナ」と避けていたものの、読んでみたらとても興味深い。明治と昭和の重ね合わせを提起して、殊に明治45年の乃木将軍の殉死と昭和45年の三島由紀夫の自決を重ねているのは、まさかの連想として苦笑を漏らすかもしれないけれど、読んでみるとナルホドの連続でメチャ刺激的だ。もちろん強引な展開に付いていけないところもあるけれど、こんなに楽しく知的刺激を与える論は多くないネ。これも読まないと損すると言える論だと言いたいネ。その他、

 「大江健三郎アレゴリーーー『万延元年のフットボール』」

 「同一性の円環ーー大江健三郎三島由紀夫

の2本を読んだけど、それぞれ読み応えがある。「死者の奢り」の頃以降の大江健三郎には興味がないし、特に「万延元年のフットボール」は同時代に読み始めた記憶があるけど、世間が騒ぐわりには読みにくいしツマラナイので放置したままでいた。柄谷は想定以上に面白く論じているので通読できたけど、作品を読もうという気にはならなかったナ。でも三島と比較した後者の論は実に面白かったネ。柄谷は大江のみならず、三島もとてもよく理解しているので驚いたナ。

 この書は講談社文芸文庫に入っている気がするので、入手して読むことを断然おススメするネ。まだ読んでないけど、武田泰淳中上健次・森敦(一橋大院で取り上げたネ)・廣松渉などが論じられているので、これから読みたいネ。

 

 柄谷以外の本について書く余裕がなくなったので、機会を改めてネ。