【釣り部】佐藤錦(桜桃)  台湾マンゴー

 釣り部の二次会(部屋飲み)で頂戴した、大事なものを記し忘れていたヨ。毎年アマッチが山形の生産農家から仕入れて食べさせてくれる、桜桃の高級品「佐藤錦」だネ。ヒグラシゼミの後のこともあったけど、昨年に続いて釣り部に合わせてゲットしておいてくれたもの。去年に続いて食べきれずに翌朝まで残っていたというゼイタクな思いとしたヨ。

 忘れていたけど、昨日台湾の李淑妙さんからマンゴーがたくさん届いたので、去年釣り部に持参してハッチャンが喜んだ顔を思い出し、アマッチの桜桃も思い出したわけだネ。残念ながら1週間遅れでハッチャンには渡せないけど、今パソコンを診てもらっている木村守先生に渡しに行けるので、タイムリーなマンゴーとなった。去年『シドクⅡ』を贈ったせいか、今年はいつもの倍くらいたくさんくれたので、部活でも食べてもらうこともできず困っていたところだからネ。

 これを読んでいる人も食べたいだろうけど、ザンネンだったネ。国立駅の改札口まで来れば渡すこともできるから、電話くれてもイイけどサ。ヘイカは車だろうから、自家まで来てくれればお渡しできまするゾ! 出版記念会で頂戴したたくさんの酒類を、自家まで運んでもらった車だからそのお礼の意も兼ねてネ(ヘイカはせっかくいただいた酒を共に呑めないしネ)。

【つぶやきイチロー】忘れてしまいたいこと

 このコーナーも、もっと書かないといけないとは思っているのだけどね。

 喘息の吸入薬の副作用で、声が出にくくなっただけでなく音痴になってしまったことは前に書いたとおり。カラオケは年に1・2度くらいしか行ってなかったけれど、持ち歌(?)としては定時制高校教員の頃の「大阪で生まれた女」から、拓郎の「イメージの詩」やあがた森魚「赤色エレジー」などがあり、河島英伍の「酒と男と涙と女」は最後に皆と歌うことにしていたネ。

 と、ここまでは単なる前振りで、出だしの「忘れてしまいたいこと」がたくさんあって時々それらが思い出されると、苦しくて「どうしようもない」状態になるのだネ。以前ヒグラシゼミでそんな話題になった時に、正直に言ったらトミーが意外な顔をしていたけれど、実はクドクドと、あるいはウジウジと過去の失態を思い出しては落ち込みそうになることが多いのだヨ。先ほど朔太郎のことを書いたけど、前橋に帰りたくない気持ちや小中高の同級生に会いたくない気持ちは、昔の恥を想起したくないからでもあるのだナ。

 大学同期入学の「親友」の1人・カワカムリ君が、よく「命長ければ恥多し」とため息交じりに漏らしていたものだけど、彼から聞く恥はボクの数倍も恥ずかしいことが多かったので(ここでは書けないけど、口頭では教えてあげる)、聞くたびにホッとしたものだ。そのせいでもなく、教養部時代にはよく2人だけで一緒にいたものだ。

 問題は対処の仕方だけど、(トミーに教えておけば良かったかな)ボクは「忘れてしまいたいこと」が頭をよぎると大声を出すのだネ。もちろん周りに人がいないのを前提にだけど、自家にいる時は薬の副作用で声が出ないためのリハビリを装って声出しをするのだネ。だからジャミラから注意されたことがないヨ。皆さんにおススメできる効果はあるから、お試しあれ!

【読む】『近代文学資料研究』3

 【読む】コーナーばかり続いて申し訳ない感じながら、もう1つだけ。だいぶ前に送っていただきながら、紹介できないままの研究誌があるのでネ。頂戴したものはブログで紹介することにしているわけだし(佐藤公一のクズ本は別にして)。

 『近代文学資料研究』という同人研究誌は知られていないだろうけど、今時同人で好きな研究成果を発表する姿勢がイイね。でも10名超の同人で知っている名は庄司達也さんだけなのは、ボクが学会から遠ざかっている証拠でもあってチョッと淋しいかな。

 その庄司さんはお得意の龍之介についてではなく、室尾犀星の書簡についてのエッセイのようなものを載せている(未読)。犀星も龍之介とは「田畑文士村」で交流があった相手だから、庄司さんの関心の対象にもなっているのかな。個人的には野呂芳信という人の「萩原朔太郎と小出の林について」という論の方に興味があるので、いずれ読みたいネ。というのも、ボクも朔太郎と同じ前橋出身の身なので、高校時代から親しんでいる朔太郎は早くから全集を備えて稀に授業でも取り上げてきたのだけど、朔太郎については優れた研究者が5人以上揃っているので、自分で研究しようと思ったことはないネ。しかし余裕ができたら全集を読破しようという意欲は失っていないので、井伏鱒二ともども我が「晩年」の読書の楽しみにとってあるのだネ。

 「小出」というのは「郷土望景詩」の中の1編に「小出新道」とある地名で、名前は懐かしいもののボクの知る小出新道は、朔太郎の歌った面影は薄れているのではないかと思う。「新前橋駅」も同様で、上越線に連絡する駅として作られたので、小学生のボクが新潟にスキーに行った頃は、あまり利用客がいなかった感じだったネ。今では住宅地も広がり全く別の駅になってしまったけれど、便所の戸が(上州の)空っ風でドタンバタンと音をたてたイメージは、朔太郎の詩の風景と重なっている気がするネ。

 何だか久しぶりに朔太郎の詩集を読みたくなってしまったけれど、今はそんな余裕がないのでこの辺で。

【読む】五味淵典嗣

 松本氏の書を読んでいたら、五味淵典嗣さんの名前が目に付いたのだけど、(未読なたらも)谷崎潤一郎の専門家というイメージが強かったので意外だった。その中に以前小林秀雄火野葦平の「友情」を論じた抜き刷り(2015年)を送っていただいて拝読したのを思い出した、ボケだネ。力量のある研究者が小林に関係する論を書いてくれている喜びは感じたものの、抜き刷りだったので(慣例にしたがって)礼状は控えてしまったのは覚えている。その後、松本論で知ったのか、『日本近代文学』?に掲載された戦争期の昭和文学を論じたものを拝読して、種々教えられたのは覚えている。

 その五味淵氏が単行本を出しているのを知り、『プロパガンダの文学』(共和国)ユウ君にアマゾンに注文してもらったけど、これだけは在庫が無いし定価の通りの価格だという連絡がきた(他の本は大体定価よりかなり安価だったの驚いたネ)。在庫はないけど注文してもらったら、しばらくして送られてきたのでホッとしたネ。どれもすぐに読みたくなる論文が並んでいてワクワクしたけど、松本氏のみならず、優秀な研究者が戦争期の昭和文学を論じてくれるのは、自分の関心に合致しているので嬉しいかぎり!

 五味淵氏のアプローチの仕方は「はじめに」に明快に語られていて期待十分ながら、「おわりに」の坂口安吾「真珠」論には失望したので収録を避けた方が良かった、というのが素直な感想。ボクが『シドクⅡ』で「真珠」を取り上げながら、安吾文学の特殊性を強調しているので、そのために不満を感じるのかもしれないけれど、このあまりに素直な安吾理解には同じられない。安吾は一筋縄ではいかない面倒な作家なので、簡単に反戦的立場だったとか言いきってしまう論者のテクスト理解力には、疑問を持ち続けてきた。ここでも単純な二分法は危険だ、というのがボクの立場だ。

 発表時を見たら、他の卓論とは異なる五味淵さんの初期の論らしいので、敢えて本書に収める必然性はなかったように思えてしまう。個人的には初期ゴミブチには関心がないので、以前読ませてもらった小林論を含む他の章をジックリ勉強させてもらいたい。

【読む】松本和也(補遺) 川端康成  井伏鱒二

 松本和也日中戦争開戦後の文学場』を紹介しながら、川端論に触れるのを忘れてしまった。川端の「高原」という作品を取り上げているのだけど、聞いたこともないし、文庫にも入っていない模様。本書に収録される前に抜き刷りか何かを送ってもらった記憶もあり、松本氏が得意の太宰論のように緻密なテクスト論を展開しているなら読んでみたい、川端の専門家も言うように川端論はあまり優れた論や書が見られないので、松本氏なら読み応えある論を展開しているに違いないと期待した覚えがあるのだナ。ところが文庫に入ってないようなので、論文を読む前に作品を読むようにしているボクとしては、「高原」論を読むことを控えていたままだったのだネ。

 でもいざ松本論を読んでみると、「連作受容の変遷」という論題のとおりで、これも井伏論と同じでテクスト分析ではなく作品の「受容」史なのだネ。残念ながら松本氏のテクスト論は楽しめなかったけれど、論文を読むと作品自体を読まなくても物語内容が理解できてしまうので、敢えて作品を入手する気も失せてしまったネ。日中戦争さなかにもかかわらず、川端が己の文学を貫いたというスゴサが伝わってきたので、論を読んだ甲斐があったという次第。川端にこんな作品があるとは知らなかったけど、このような作品に注目する松本氏の目の付け所には改めて感心したネ。もちろん「受容」を詳細すぎるほど丁寧に分析していく能力にも脱帽だけどネ。今は第5章の岡本かの子論を読んでいるところだけど、これも専門家の宮内淳子さん等の論とはアプローチの仕方が全然異なるので、とても興味深いネ。

 前回名前を出した新城郁夫氏が、既発表の論文や修論をまとめて川端論を(井伏論も含めてという案もあったけど)1冊にまとめてくれれば、死ぬ(ボケる)前に楽しめるとは思うものの、現在の新城氏の関心は沖縄から離れることはできないのだろうな。

 

 松本氏の本のお陰で井伏の小説を読む楽しさを思い出したことは記したけど、推薦した野崎歓氏の井伏本の「あとがき」に《文章を読むことの純粋な楽しみに浸らせてくれる作家》という評価には全く同感だネ。実は読みやすさから、井伏作品の読書はもっと年をとってからの楽しみにしていたのだけれど、「多甚古村」に引き続いて少しずつ井伏も読み継いでいくことになりそうだネ。全集には未収録だろうドリトル先生シリーズも含めてネ(これも野崎論に刺激されて読みたくなったのだネ)。

【読む】松本和也  井伏鱒二  野崎歓

 ボケる前にたくさんの優れた書に出会い、お陰で充実した読書が続いていたのだけれど、釣り部などで中断していたものの復活する余裕ができた。松本和也氏から『太平洋戦争開戦後の文学場』(神奈川大学出版会)を贈られ、自分がやろうとはしていたものの手に付かなかった問題を期待を超える緻密さで教示してもらい、死ぬ前に本書を読めた喜びを噛みしめる思いだったネ。資料は集めたものの、合冊版の新聞類をはじめ未読のまま研究室に残して退職したものもある。松本氏は合冊されていない個別の新聞にも当たるのは無論、目立たないものも含む雑誌類にも目を通して詳細に論じているので、きわめて貴重な研究書だ。

 とおススメしても、書名の問題に関心の無い人には無味乾燥な叙述にしか受け止められないだろうから、一般にはネコに小判の書になってしまうのかな、惜しい限り。実は興味ありありのボクにとっても、本書ばかりを読んでいても集中力が続かないので、本書の前に出版されていた『日中戦争開戦後の文学場』(同)をゲットしたところ(ユウ君にアマゾンに注文してもらい)、こちらはありがたいことに馴染の作家・作品名が並んでいるので親しみやすく、さっそく井伏鱒二川端康成の章を楽しく拝読している(他には岡本かの子吉川英治岸田國士火野葦平尾崎士郎など)。

 井伏は「多甚古村」が論じられているのだけれど、驚いたことにボクはこの著名な作品を中途で投げ出したまま通読していなかったのだネ。慌てて字の大きい全集を取り出して読み始めたら面白いこと! これも井伏文学に関心が無い人には退屈極まる作品かもしれないけれど、ファンのボクには些末な日常の連鎖が味わい深い文章でつづられているのが、加齢とともに楽しいのだナ。

 ただ松本氏の論は副題の「『多甚古村』同時代受容分析」のとおりで、テクスト分析ではないことはお断りしておこう。太宰などで緻密なテクスト分析を見せつけてくれた氏は、ここではテクストに踏み込まずに作品が時代にどう受け取られたかを分析しているので、テクスト自体の面白さを伝えてくれているわけではない。この手の井伏のテクストを論じるのを諦めたことがあったけど、『解釈と鑑賞』で「集金旅行」論を頼まれて断った時だったかな。さしたる事件もない日常を追ったテクストで、自分には論じる能力がないと判断したものだ。後で新城郁夫さんがこれを論じたのを読み、自分の非力さとともに新城氏のテクスト分析にひたすら感心したのを忘れない(その後の新城氏が井伏や川端から離れてしまったのは、残念でならない)。

 

 ともあれ松本氏のお陰で「多甚古村」に〈再会〉できただけでも感謝だヨ。井伏では野崎歓さんの『水の匂いがするようだ』(集英社)もゲットしてもらい楽しんでいるところだけど、さすがに「ライ麦畑でつかまえて」の訳者らしいステキな論だネ。この上ない名訳だと思うけれど、村上春樹がわざわざ「キャッチャー・イン・ザ・ライ」とかいう題で翻訳したと聞いても、訳す・読む必然性を感じなかったナ。ともあれ野崎さんは、むかし同じ集英社が出した涌田祐という人の井伏論を取り上げ、涌田氏がズーデルマンの「猫橋」を井伏が翻訳して「父の罪」と題して井伏文学における〈父の罪〉に一般化して論じているけど、《ほとんど何の関連も感じなかった》と明言しているのでスッキリしたネ。この涌田氏は文学のシロウトながら、細かいことを調べるのが好きらしく井伏研究に貢献したこともあるのかもしれないものの(井伏の専門家が取り上げたのを見た記憶もないけど)、ことテクストや作家分析に至ってては思いつきの羅列で迷惑そのものなのだネ。小林秀雄については佐藤公一という御仁が何の益もない紙クズ同然の本を出し続けていることは以前ブログにも記したとおりだけど、涌田氏の井伏論も同じように見えていたのを野崎さんが断言してくれていたので気持ち良かったのだネ。集英社が三文の値打ちもないような涌田・井伏論を出しながらも、2年前に野崎さんの井伏論を出して名誉挽回した感じだネ。野崎さんのは安心して読めるのでおススメです!

 「猫橋」の井伏訳は全集に入ってないので、昔の生田春月訳をゲットしてもらって読んだら、これも面白いこと! もちろん原文が読めないので対照しようがないけど、やたらと擬人法を使った翻訳なので生田長江訳の「サランボー」(フローベル)が想起されたネ。横光利一の「日輪」をはじめとする初期作品に頻出する擬人法が、生田長江の訳文をヒントにしたというのは研究書で知ったけれど、長江ならぬ春月の訳文も擬人法を使いたがっているので親子かと思ったものの、出身地が同じという縁だというのは初耳だったネ。表現の興味深さで冒頭の2章くらいまで再読してしまったけど、ストーリーも面白くて続けて読みたくなっている。望月哲男氏から贈られたトルストイ戦争と平和 2」や「アンナ・カレーニナ」全巻その他数冊が待っているのにネ。ともあれ読了するまで死ねないネ。

【つぶやきイチロー】ネモチン、や~い!

 釣り部の時にユウ君に話したのだけど、心配している卒業生の中でも今一番気になるのは、ネモチンだネ。在学中も親しい友人たちに支えられ、無事卒業したものの職場ではチョッとキツイ状況だった。何とか転職して落ち着いたものの、その後も楽ではなかった模様。毎年賀状も届いていたのに、今年は無し。数年前に幸いことのほか優しそうな夫君と結婚し、その後も相談に乗って力を貸して上手く行ったのは良かったのだけど、突然の音信普通で何が起こったのか心配だヨ。

 先日夢にまで見たので、我ながらよほど気になると見える。サカポコが去年結婚してからは肩の荷が下りた感じで、全く気にならなくなった代わりのように、ネモチンが心配の種になったままで気が晴れない。この学年の卒業生は、それぞれ個別にはボクと連絡が続いているけど、横のツナガリが無いようで情報が入ってこないから、一段と心配だネ。誰か、ネモチンの情報を持っていたら、連絡くれると嬉しいネ。