【呑み部】総勢8名で腹イッパイの飲食!

 予告どおり丸井のレストラン街の「王琳」に行くつもりでいたら、久しぶりの参加のマチルダさんが(ゼミ中の高級菓子のみならず)バーミヤンで株券が使えるからと言ってくれたので、お言葉に甘えて急遽店を変更した(以前にも株券を利用させてもらったことがある)。今回は以前にも増して株券の量がタップリしていたので、総勢8名が限界まで飲み食いして気付いたら閉店時間までいたヨ。マチルダさんのお蔭で現役生のみならずその他の人も無料となり、ボクの負担分も予定していた金額の半分にもいかずに1万円を切ったネ。

 発表した主役の福井クンは院修了祝いの集まりが重なったため、好物のエビチリなどを食して去って行ったのは残念だったものの、仕事でゼミに参加できなかった(この日は卒業式がらみでエトワル君とマンジュが不参加)イー君がアフターに合流してボクと司会を務めてくれた松原クンの3人で赤ワインのデカンタをお替りしたヨ。料理もそれなりに美味かった上に(マグロやサバなどの海産物料理まであって驚き!)赤ワインが期待を裏切って美味だったのでお替りまでしたのだネ。

 帰宅後は何もできずに寝たけれど、翌朝は二日酔い気味で本を読む気になれないままテレビを見ていたら、何度も寝入っていたヨ。1日に5回くらい仕事机に向かったままうたた寝してしまったヨ。

【ゼミ部】タイヘンな盛り上がりぶり!  「沙漠」の表彰をめぐって

 昨日のゼミはオンライン併用と言いながらも、ボクのミスで入室番号などをブログで紹介し忘れてしまったので、参加希望ながらもオンライン合流できなかった人がいるかもしれない、ごめんなさい!(いつものパスワードだったようだけど、エントリーが無かったようだから謝る必要はないかもネ。)

 

 発表者の福井クンがいずれ作品論をまとめる機会があると思われるので、ここでは紹介できる範囲で議論を紹介する。修士論文の一部としての「太陽の季節」論だったけど、修論のテーマと聞いていた《肉体》よりも「東京沙漠」の〈沙漠〉(「砂漠」ではなく)という表記をめぐってかなり突っ込んだ議論が長時間にわたって続けられた。前世紀中東の冒険小説を研究課題にしている杉本クン(法政大学院生)が参加してくれたお蔭で、〈沙漠〉が表象するものが多様性を帯びて追求されて教えられることが多かった。先行研究の視野がいかに狭いまま書かれ続けたかが実感される思い。

 日本におけるボクシングの歴史も意外に古いのに驚いたし、福井・杉本両君がむやみにその歴史に詳しいのも驚いたものだ(よく調べていることだけでなく、調べたものを自身のものにしていることにビックリ)。ボクシングが描かれた文学作品も多く知らないものがたくさんあったし、安倍公房のノックアウトされるまでの〈意識の流れ〉を語った作品名を忘れていたのも(「時の崖」)も思い出させてもらったヨ。

 主人公・竜也の捉え方も、「父」や「母」というひと時代前の把握の仕方から抜け出て新鮮であり刺激的だった。テクストは大部分が竜也に一部が英子にキッチリわけて焦点化されていて、冒頭の表現の仕方が意外に受け身の形で奇異な思いだったけれど、発表の竜也像を聴いたら理解しやすくなった印象だった。福井クンが想定以上にテクストの細部まで読み込もうとしていたのは感心するばかり、ヒッキー先生の細やかな指導の賜物だろネ。

【状況への失言】「小池百合子は平気でヒトを裏切る」  伊藤敦夫の発言  朝鮮人追悼を忌避する小池百合子と山本一太

 「ひるおび」は朝食を摂っていることが多い時間なので、話題が面白ければたいてい見てる。田崎史郎自民党に対して甘いことがあるけど、伊藤敦夫さんはいつも手厳しいので納得できることが多いネ(ググったらボクと同年齢だと判った)。

 先日は小池百合子が話題になった時、「小池さんは自分を信頼するヒトを平気で裏切りますからネ」と言い切ったので、この人は「信頼」できると思えたネ。ここではくり返さないけど、ずっと前から小池百合子については「内面の悪さがツラの悪さに現れている」とか「自分の利害しか考えてなくて、平気でヒトを利用するだけだ」と何度も記してきた。それとまったく同じ捉え方を伊藤さんが言っていたので驚いたネ。

 小池がヒトを平気で裏切る端的な例は、小池が都知事だった頃に都民ファーストの中心人物7名の1人として活躍したものの、やがて小池に裏切られて一時消えていた音喜多駿だ。いつの間にか維新の党の衆議院議員となっていたのも驚いたけど、音喜多にとっても維新の党にとってもウィンウィンの関係なんだろネ(音喜多には維新の党のウサン臭さは感じないけど)。

 小池百合子が信じられない別の例は、(以前にも書いたけど)関東大震災のドサクサに紛れて虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する集会に、毎年都知事として追悼の意を伝える人を送っていたものの、ある年から急に送るのを止めたのだ。おそらく杉田水脈のような低能なクソ達を操っている右翼団体から脅されて手を引いたのだろネ。先般「群馬の森」の朝鮮人追悼碑を撤去した動きと同じで、山本一太知事が右翼の言いなりになったのと同じだ。

 

 右翼が朝鮮人差別に躍起になっている理由が理解できないけど、1つは天皇家はじめ日本人の中に朝鮮の血が根底に交じっているからだろネ。両者を差異化することで差別を生み、日本人を聖化したいというゲスな衝動によるものと考える。同じことは被差別部落に対する差別と同根で、自信のない者が自分以下の存在を仮構することで己を聖化したり・特権化するのだろネ。 

 学生時代に、後にパスカル研究者となったものの早逝した友人が、

 《公衆便所に〈朝鮮のバカ〉という落書きがあったけど、根拠なく差別している低能野郎が朝鮮人を非難する言葉を落書きしようとして「朝鮮」と書いたものの、どう続けていいのか思い浮かばなかったので「バカ」としか書けなかったのだナ。》

と言って大笑いになったけど、「落書きしたヤツこそ本物のバカだよナ」と意見が一致したヨ。

 小池百合子山本一太もこの手の「バカ」と同列の存在でしかないのだから、知事などをやらせている場合じゃないネ。彼らを知事にしている都民・県民こそが「バカ」なのかな?

【ゼミ部】16日の確認

【ヒグラシゼミ】「太陽の季節」(石原慎太郎)に決まり

編集

3月16日(土)2時~

(場所) 国語第一演習室(オンライン併用)

(発表者)福井秀平(学大修士課程修了予定)

(作品) 石原慎太郎太陽の季節」(修士論文の一部)

(テキスト) 新潮文庫その他、お手許にあるもの。

       必要な方にはメール添付で送ります。

 

@ 参加予定の方はイチローまで連絡してください。

  ナオさん・マンジュ・エトワル君などが参加予定。

アフターは丸井9階の中華「王琳」を予定しています(現役生無料、その他は2000円以下)。

* 3月以降に発表希望があれば、連絡ください。

【近況】イチロー、ジャミラを叱る!

 キヨちゃんからの年賀状に「ブログのジャミラさんの記事のファンです」と付してあったので笑ってしまったヨ。ジャミラのネタは限りなくあるけど、いちいち記していたら他の記事が書けなくなってしまうくらいだヨ。でも以下は已(や)むに已まれず、怒りにまかせて記しておくヨ。

 

 先般冷蔵庫を買い替えたのはいいけれど、その際に中味と周辺に置いてあったものを新しい冷蔵庫内に入れたり、その周辺に戻さないまま既に2週間ほど経っている。業者に見られるのがイヤで、ジャミラが自分でテーブル上の物も移動したのがそのまま放置されている。ご存じのゴミ置き場のようになっているテーブルも、日ごとに元のゴミ置き場になっていくばかり。テーブルは台所(2階)のすぐ傍にあるから、この辺りが新たなゴミ置き場(ゴミ回収を待つ置き場さながら)となって久しく、人一倍汚いモノが見るに耐えないボクとしてはガマンも限界になった。

 この2・3日数回口頭と文書で片付けるように伝えたものの、音のする屁をした後のようにトボケ続けていた。一方では「主婦の友」(?)の集まりとかで連日出歩いているのだから許しがたい。昨夜ジャミラがいつものようにテレビを見ているところに、ヒマのようだからゴミ置き場を片付けるように伝えておいた。しばらくして行ってみたらテレビを点けっぱなしで寝ていたので(毎晩のルーティン)、「どういうつもりなのだ?!」と珍しく強い口調で言ったらふて腐れた表情でトイレに立てこもっていたヨ。そのまま寝室に行って寝たようだ、もちろん片付ける気がないことを表すようにネ。

 

 今日ボクが起床して(最近は11時前後が多い)2階に行ってみたら、やっと片付ける気になったようでゴミが分別され始めていた。言ってみるもンだネ、じゃねエよ!

 イイカゲンにしろ! ちゅうところだゼ!

【見る】ボブ・ディラン  ノーベル文学賞の推薦者  「廃墟の街」

 今夜11時50分からの「アナザーストーリー」、ボブ・ディランで一つ言い残してしまった。ノーベル文学賞を受賞したのには10数年間推薦し続けた人(〇〇・ボールという名だったか)がいたというのは初耳だったネ。受賞した際に世界が驚いていたけど、正当な理由があるとブログで書いた時、曲が無くても詩(歌詞)だけでも表現としての価値がある例として「廃墟の街(デソレイション・ロウ)」という作品を紹介した。番組が終わる時に流される歌がこれだから、よく耳を傾けて聴いて欲しいネ。まさに現代詩のように一読では解らない詩だヨ、でも素晴らしい!

(これから今までの録画から消去できるものを探して番組に備えるヨ。)

【見る】カラヤン(嫌いな理由)  「クラシックTV」  

 清塚信也がMCをしている「クラシックTV」はためにもなるし面白い。昨日の昼間2時からの再放送を見たら(本来は木曜夜9時~)カラヤンを取り上げていた。20世紀後半には「世界の帝王」と呼ばれた指揮者であり(ボクは嫌いだけど)、どんな曲でも聴かせる演奏を残しているので覚えておくとイイね。クラシックのオケ音楽を聴きたい時にカラヤンを覚えておけば選びやすいから。ボクが嫌いなのは演出が過剰だからで、ルー大柴はじめ他人を眼中に置かずに自分のアピールばかりしているクソが大嫌いなのに通じているネ。

 昨日の番組で判明したのは、ベルリン・フィルを振ったDVDでは映像と音楽が別テイクだということで納得するところがあったネ。以前ブログでも書いた、映像では楽器の動きがそろっている(例えば弦楽器の動きがピッタリ同じ)のは、先に録音した演奏に合わせてカラヤンの意向で動きをそろえたとのことだった。以前のブログでも記したように、ヴィオラのトップだった土屋さんという日本人が反対したそうだけど、放映された映像では金楽器まで横から見ると平行して並んでいたので笑ったネ。音楽の本質とはズレていると思うけどネ。

 カラヤンの指導を受けたという指揮者・高関健も清塚も「カラヤンが振るとカラヤンの音が出る」と言っていたけど、フルトベングラーが振っていた時はドイツ(ベルリン・フィル)の音がしていたのに、カラヤンに変ったら奏者を世界から集めたためもあって国籍不明の音になってしまったということだ。ボクとしてはそれが支持できなくて何でもムード音楽に聞こえてしまうのだネ。一番ヒドいのはブルックナーの演奏で、マタチッチ指揮チェコ・フィルの第7番シンフォニーで心底感動させられる演奏と比べると、カラヤンのはまったくのムード音楽になってしまうのだ。

 ハイレベルの演奏を求めるなら、作曲家・曲に応じて指揮者(とオケ)を選ぶべきでカラヤンは避けるべきだネ。