鹿島茂は欠席だったけど・・・

25日に40年ぶりくらいの同窓会(?)をやった。
一緒に入学した連中だけど、6名の中で4名が文学部で残りの2名が法学部というヘンな組み合わせ。
要するに1968年の全共闘オジサン(と言うよりジイサンか)の集まり。
それが証拠に、前期入試のために遅れて行き、店員に幹事の名を告げて連れて行かれたグループがどう見ても別の集まりに見えた。
よく見かける風のジイサン達の会合に見えたので、店員に「この人達じゃない」と言ったらジイサン達から手招きされてビックリ!
何とあの懐かしい連中ではないか!
数年前に呑んだ野口クンが奥にいて見えず、手前にいたのが皆40年ぶりなので玉手箱を開けた浦島状態に変貌していて全く別人のようだった。

会うことになったきっかけは伊賀同志に、年賀状に「死ぬ前に一度会っておきたいネ」と記したところ、早速彼が上京する機会があったため。
彼とは学科が同じ国文科で、学会では高橋博史と一緒。(ボクとは高校教員だった点でも共通する。)
集まったのが68年生の教養部つながりだったので、ヒロフミ(ロシア語クラス)には声を掛けてなかった。
伊賀同志も鈴木も(鹿島も)フランス語クラスでLⅢ10組で、ボクは9組。
LⅢ9組というと「単純ゲバルト派」と言われて実際に強かったオバカの集まりで、比較的オトナシイ感じの10組とは異質だった。
その中でも伊賀クン(鹿島も)は「単ゲバ」風だったので(ホントは気弱で他人を殴れなかった)、ボク等(ボクとカワカムリ君)は「同志」と称していた。
当日不参加だったカワカムリも高校教員(英語)だったので、40年近く前に電話で話したことがあると双方が言っていた。
連絡のしようが無かったという鹿島に会えなかったのは残念だったけど(個人的には30年ほど前に会ったのはブログに記したと思う)、昔話にハナが咲いた。
40年のブランクを全く感じなかったので、昔の呼称のままに「崎原!」(当時から老け顔で、陰で「キャンタマ小父さん」と呼ばれていた)「井上!」(当時は「鼻毛のイノウエ」と陰で呼んでいたのはカワカムリとボクの二人)と自然な感じで呼んでしまった。
昔と違うのは「○○は死んだヨ」という類の話が多かったことと、鹿島に限らずマスコミに露出している昔の仲間の話題が多かったこと。
故人となった一人は、生前管直人から立候補を勧められたけど断ったとかいうようなこと。
社民党のアベ政調会長とかは、あの頃身近にいた御仁だったそうだけど、顔が思い浮かばない。
鹿島を含めて敢えて個人名を記したのは、懐かしむ気持と次回は輪を広げて会ってみたい心情から。
帰りは飲み過ぎたせいで、電車で目覚めたらまた高尾だったかナ・・・戻れたけど。