【状況への失言】最首悟(さいしゅ・さとる)さんは尊敬できる稀な人  新刊『能力で人を分けなくなる日』(創元社)

 ブログにも何度か書いてきた人だけど、最首悟さんが先日の「東京新聞」に新著紹介をかねて取り上げられていた。写真を見ると最首さんもだいぶ好々爺(こうこうや)の雰囲気を出すようになったナ、と思ったら87歳とのこと。それでもお元気そうで何より。そもそもこのトシで新刊を出すのだから老人呼ばわりはできない。その新刊も中高生3人と車座になって語り合ったものだというのだから、精神の若さはハンパナイ! 

 《頼り頼られるのはひとつのことです。一方が自立したり、一方に依存していたり、ということはありません。》

という深い言葉が中高生に簡単に伝わるとも思えないけれど、記事には《「私」という存在がまずあるのではなく、「あなた」との関係がまずあって、「私」ができていく。最首さんが提唱する「二者性」の概念だ。》という解説が付されているのを読んだら、学部生の頃に同級生の故・木邨雅文が教えてくれたマルティン・ブーバー「我と汝」の考え方との共通性を感じたネ(岩波文庫にもあるから絶対おススメ!)。

 ブーバーの思想はユダヤ教に根付いているとのことだけど、最首さんの場合はダウン症の三女(47歳)との暮らしの中から得られた知恵だそうだ。この娘が幼い頃に一緒に撮った新聞掲載の写真を見た時の感銘は未だ忘れられない。娘がサイコーの笑顔で抱かれているのだけど、最首さんの表情もこの上なく嬉しそうで信じがたかった。障害のある娘を抱いてこれほどの喜びを表していることが、素直に受け止めることができなかったのだネ。その逆に不幸な子を強いられたと暗い表情で生きている親を少なからず見てきたからネ。

 

 全共闘運動のさ中、駒場の第八本館をバリケード封鎖をしていてボク等のクラスが与えられた部屋は、駒場全共闘の精神的支柱だった最首さん(当時は助手という教員の立場)の隣りの部屋だった。大工道具を借りに訪れたこともあったりで、親しく口をきいてくれた最首さんが今や何をやっても及び難い存在になっているのだから、吾ながらジンセイの奥行きの深さを感じるネ。ダウン症の娘さんのことを知ったのは、だいぶ経ってからの新聞の記事だったけど、それ以来は畏敬の念が深まるばかりだった。

 今回の記事で初めて知ったのだけど、東大助手時代には石牟礼道子本人から懇願されて水俣病の学術調査団に加わったのだそうだ。さらに驚いたのは津久井やまゆり園事件の被告から手紙がきて以来、今もやり取りをしているとのこと。最首さんがダウン症の娘の人格を認めて共棲しているのを知って、知的障害者ら45人を殺傷した被告が最首さんに論争を挑(いど)んだのだろネ。ボクからすると被告は(新興宗教信者や杉田水脈と同じく)話しても通じる相手ではないと思うけど、最首さんは見捨てないのだネ。

 新刊のみならず、最首さんの著書を漁ってみるつもり。