「つぶやき」のコーナーに記すべきかな?
でも一般論として、大事な問題を提起してるようにも思えるし・・・
委員会の指示通りに、大井田義彰さんと1年交代でやっているのだけれど、来年3月で定年退職だから今回が最後ということになる。
今回で3回目なのだけれど、過去2回は詩歌を教材にした。
できるだけ(テキスト)は買わせないように、という指示があったような記憶が残っているが、その場で読んですぐに読解の討議に入れるのは詩歌しかないと考えての選択だった。
小説を教材にしているという大井田さんにテキスト指定は可能かと聞いたら大丈夫だというので、今回は『日本近代短篇小説選(大正篇)』(岩波文庫)をテキストに指定した。
講習案内にテキストを用意のこと、と記したら「できるだけ用意することが望ましい」とかいう曖昧な表現に改めさせられた。
講習自体に不満を持っている受講者から、講習代以外にカネの掛かることを嫌うクレームが来るからだろうと推察する。
カネを掛けても向上したいといういう意欲が欠落しているのだろう。
それだけで教員失格! と言いたいところ。
講習自体に疑問を持っているのは受講者のみならず、講習をやらされている我々も同じだから(積極的にやりたがっているヒトもいるとは聞くが)、過去2回とも最初に「お互い迷惑な制度ができてタイヘンだけれど・・・」とは断った上で始めたものだ。
丸1日の講習をやった上で試験をして合格・不合格を決めろ、と言われてもなァ・・・
テクストの読み(読解)を中心に討論や講義をしてきたが、確かに合格点をやれない受講者がいることはいる。
そのサイテーの例は、1回目の講習で試験の代わり無記名で自由に感想を書いてもらったら、「テキストがセクハラのようだ」とか記したオバハン(中年の女性小学校教員をバカにした言い方)がいて仰天した。
新しい世界への案内として、教員にもあまり馴染みがない現代詩を意識的に多く選択してプリントしたのだが、このオバハンはまるで理解できていなかったようだ。
(理解力のある受講者の多くは活発に議論に参加していた。)
那珂太郎も吉岡実も(私も)この手にかかってはセクハラ親父に見えてしまうようだ。
苦笑・憫笑・爆笑は出るけれど、笑ってばかりはいられない。
このレベルの言語感覚と能力の教員に、何年間も週数回の国語の授業を強いられる子供の不幸を思うと、不合格にして再履修をさせて根本から言葉の学習を課さなければならない、という考えになる。
でも教員評価がそれだけで決められていいのか? という大問題が残る。
ものごとは全て善し悪し両面があるのは当然ながら、この講習制度をいかに良い方向で生かすべきか、十分な議論がなされていないと思う。
無記名の感想を読むかぎり、2回目にも合格を付けにくい受講者がいたが、教員のレベル・チェックのためには講習が役には立つだろうが、不合格にしてその教員を辞めさせるというのはいかにも性急すぎるだろう。
では再履修させて再教育しよう、と簡単には言えても容易に実現できることではない。
現場にいる教員なら尚更で、すでに子供たちとの関係ができているのは無理やり切り離すことはマイナスが多い。
・・・そんな大問題をここで展開する気など無かったのだけれど。
ともあれ3回目の今回も、不合格候補者が紛れ込んでいるのは予想できる。
例えば自分を向上させるために新たなカネを使いたくない、というヤカラがテキスト無しで参加してくるのではないか、という心配がある。
(学生の中にも、演習のテキスト(安価な文庫を選定しているにもかかわらず)でも買わずに済まそうとする不届きものが、毎年いるので情けないかぎり。)
そんな教員に限って、生徒に対しては「教科書を持たずに授業が分かるはずがない!」などと喚くのだろう。
国語の授業はもっとも教科書が必要な教科であろうし、テキストの読解を中心に展開する私の授業(講習)は手ぶらでは殆ど理解が及ばず、試験をすれば不合格になるであろう(今年は試験をやってみようかと考えている)。
国語(文学)の授業は知識を教えられるものではなく、理解(多様な読解)する力を身につけるものだと考えるので、ノートと筆記用具を持参すれば済むというものでは全くない。
ニンゲンには誤りが付きものなので、間違った(テキストを用紙しなかった)時にどうするか、次善の策を模索する機会を設けたいとは考えている。
テキストを持たずに来るフトドキモノが何人か、一人でもいると不快なだけでなく、そのための指示に費やす時間もモッタイナイ気がして・・・
@ 意欲の無い受講者の例ばかり記したが、過去に免許更新講習を受けるならボクのを受けたいと連絡してくれたヒトで、改めて参加する希望があれば勝手に来て下さい。
教室にはその程度の余裕はあるはずだし、過去2回とも卒業生・現役生に参加してもらって、受講者には聞きにくい質問を受けてもらってきた。
夜型で早朝は寝ている時間ながら、丸一日の講習をやらねばならないけれど、昔(今も含む)ボクの授業に参加した(している)受講生と、終了後に研究室でビールを呑みながら話すのを励みにガンバってみよう。