二度目の「鍵」論はアヤーキーだったせいか、アナーキーな登場の仕方でレポのくせにかなり遅れた。
結論が出ないというので、出るまで書こうとしたらしいものの、出ないまま時間になって中断したらしい。
ジンセイいろいろなケースがあるから、レジュメが仕上がらない場合は続き(或いは結論が出ない理由)は口頭で言えばいいので、遅れないことが大切。
テクストレベルで読んでもツマラナイ結論になりそうだからといって、コンテクスト・レベルを恣意的に読んでもいいわけでもない。
やはりテクストに傍証を求めながら、読みの可能性を追求すべきであるのは当たり前。
谷崎は昔「春琴抄」で恣読(しどく)が流行った苦々しい記憶を想起して、コンテクスト読みの可能性を探求すべきであろう。