養老孟司  何のための学問か?

養老さんは虫好きなのでアホなこと言っても許せてしまう人だが、朝日の「人生の贈りもの わたしの半生」という連載を読んでいたら6・7回(全12回)あたりで非難しきれない理由が分かる気がしてきた。
バカみたいに売れたという『バカの壁』だったかに、安倍晋三なみのバカみたいなことを書いているのを知って(桐原の教材候補に一部分が上がっていた)バカにしていたが、世間知らずのお坊ちゃまの失言だとスルーできた。
ボクより10歳ほど年上なので敗戦時の価値観の転換を身をもって体験したが、東大で偉大な教師に出会えたというのは救いだった。
中井準之助という医学部教授で、養老さんの友人が精神を病んだら中井先生も休学して「俺が治す」と言って北海道の牧場で一緒に過ごしたというのだ。
教授会その他で学生との伴走を強調してきたボクとしても、そこまではできないスゴイ先生だと驚いた(他の学生へに対する配慮が課題として残るが)。
その先生が学部長を二期務めて「紛争」を収束させたそうだけれど、助手だった養老さんは種々タイヘンだったらしい(助手といえばその頃、駒場で助手として大活躍していた最首悟さんを尊敬していることはブログに書いた)。
最首さんの言い方だと、助手は教員と学生との間のコウモリのような存在だということだが、その立場なりの人知れぬ苦労があった模様で、養老さんは全共闘との対応で身に付けたことがその後とても役にたったと言っている(誤解も多いが)。
養老さんがエライと思ったのは、全共闘議長だった山本義隆氏が20数年後に書いた著書が大きな受賞した際に、養老さんは選考委員として賛成票を投じたという。
世の中には「江戸の仇」でもないのにヒガミから「長崎」でもないのに相手を傷付けたがる小人もいることを考えると、当たり前ながらも養老さんが山本氏のジャマをしなかったのは気持いい。
かなり誤解と偏見が交ったものであろうが、養老さんは全共闘から影響を受けたそうで、全共闘が教員に突き付けた「何のための学問か?」という定番の問いに対して、養老さんは《「何のために学問を」と考えることが学問そのものであり、大切な疑問なんです。》と今の時点らしい見解を述べている。
「残しておきたい言葉」に記しとどめておきたい言葉だ。
旧左翼が被害者意識を基盤に戦ったとすれば、新左翼としての全共闘は加害者意識で闘ったという大きな差異があるが、「何のための学問か?」と問い続けたのも加害者意識からである。
広島・長崎の後で原爆開発に携わった科学者が反省しても、遅きに失するからだ。