さすがにヒッキー先生! 「預言」と「予言」  なぜフランス語?

難しいテクストを分かりやすく、かつ面白く講義してくれたのはさすが!
既に論文原稿が出来上がっていたものなので発表というより講演という感じだったけど、『武蔵野大学日本文学研究所 紀要』に載るので詳しくはそちらを参照してもらえます。
参加を希望しながらも来れなかった仲間には、レジュメをメール添付で送っています。
論文では記されないだろう問題点だけに限り、ここで触れておきたい。
① 1週間前の昭和文学会の時に予めヒッキーさんから聞いていたのだけれど、吉本の「マチウ書試論」では「預言」という用語はいっさい使用されずに「予言」や「予約」という言葉を代用している。
漢字としては「予言」も「預言」も差異は無いというのが、ヒッキーさんが調べた結果のようだけれど、個人的にはどうも納得できていない。
「預言」は神から預かった言葉というイメージが刷り込まれているボクからすると、「ノストラダムスの予言」は「預言」とは思えないので「預言」と「予言」は差異化して使いたい(使って欲しい)というのがホンネ。
指摘はされてきたのだろうけど、吉本がその後も直してないとのことなので、吉本の混乱混同とも決めつけにくいものの、やはり「預言」に訂正してもらいたかったナ。
② 吉本が何故フランス語でバイブルを読み、固有名もフランス語で記したのかという問題に対する私見
文学界ではその時代の支配的言語があって、プロ文の時代はロシア語だろうけれどそれ以外ではドイツ語がドイツ観念論の流行りと共に支配的だったと思われる。
目立ったところでは三木清が流行らせた「ザイン」と「ゾルレン」は、丸山真男もひんぱんに使っていたと記憶する。
戦後になると「異邦人」論争(不条理が理解できない広津和郎を訳者の中村光夫が「年はとりたくないものです」とからかった)に典型されるように、実存主義と共にフランス語が支配的になったものと理解している。
戦前に小林秀雄訳の「地獄の季節」でフランス文学に目覚めた人たちが、大学などでフランス文学と共にフランス語を世に広めたのだと思う。
③ 吉本は結局メタレベルに止まるというヒッキーさんの結論には虚をつかれた思いで刺激されたけれど、イマイチ納得しかねている。
何十年も抱いていた吉本像を急に変えることは困難だから仕方ないかな。
ヒッキーさんの結語にある「孤独」が、吉本の唱えた「自立」に通底しているという思いは否定しがたいままでいる次第、古いかな?
(補) ヒッキーさんは引用していなかったけれど、「マチウ書試論」は主に宗教的見地からの批判を招いているものの、吉本自身はどこかで「自分は何を書いても《文芸評論家》だ」と記していたナ。