らららクラシック  ムラヴィンスキー(指揮者)  ショスタコービチ  社会主義リアリズム  島田雅彦

去年4月からMCなど一新された番組だけど、昨日(金曜夜9時半〜)はまた今までにない内容だった。
ムラヴィンスキーという旧ソ連時代の指揮者の紹介に徹していて、特定の楽曲の紹介・分析ではなかった点でとても新しい(時々こういう風に特定の音楽家の特集を続けて欲しいネ)。
ムラヴィンスキーといっても若い人は知らないだろうけど(だからこそ木曜朝10時25分からの再放送を見てもらいたい)、歴史に残る大指揮者の1人だろう。
チャイコフスキーショスタコービチなどのロシアものを振らせればピカイチで、これ以上の演奏はありえないと思わせる迫力がある(CDも出てるのじゃないかな)。
レニングラード・フィル(現サンクトペテルブルグ・フィル)しか振ってないと思うけど、このコンビこそが歴史に残る名演奏を残している、と言うべきなのだろう。
番組でも強調していたと記憶するけど、このコンビの演奏は「一糸乱れぬ」という表現がピッタリだネ。
これに比べると世界の一流演奏家を集めた集団であるベルリン・フィルの方が自由さが保証されている分、「一糸乱れぬ」点ではムラヴィンスキーには及ばない。
社会主義的統制と悪口を言う人もいる(いた)だろうけれど、楽譜に忠実を目差すムラヴィンスキーの「乱れ」を許さぬ統率された演奏は、悪口を一掃してしまう迫力で感動させてくれると思う。
番組でもショスタコービチの交響曲第5番「革命」の終楽章を流していたので、初めて聴く人はビックリすることだろう。
MCの高橋克典も初めて聴いたらしく、「感動した」と素直に語っていた気持がよく伝わってきたナ、それくらい素晴らしい名演奏だネ。
実を言うと、この演奏が「革命」の演奏として最高であり、他の演奏はこれに及ばないと言いきれないのが芸術の面白さ。
意外かもしれないけれど、バーンスタイン(オケはニューヨーク・フィルだったかな)の演奏、特に終楽章はムラヴィンスキーとは別個の感動をもたらすステキなものだ。
むかし1度ラジオで聴いただけで録音してないのだけれど、ジャズの国の指揮者(作曲家でもある)らしくリズムを強調して、別の曲を聴くような感銘を覚えること必至だネ。
ロシアものなら何でもムラヴィンスキーに敵わないとも言えないのは、来日した時のプロコフィエフバレエ音楽ロミオとジュリエット」の演奏もこの上ないものだったそうだけど、昔チェリビダッケ指揮のミュンヘン・フィルの演奏をラジオで聴いた時はものすごいものだったのを忘れない。
解説していた音楽評論家(中野という名だったかナ)がムラヴィンスキー以上だと行ったのは本音だと思ったナ、ムラヴィンスキーの演奏は聴いたことないけどチェリビダッケの凄さに圧倒的だったから。


実は定時制高校の教員だった頃、ボクはムラヴィンスキーの生演奏を聴いたはずなのに記憶が定かでないのは、ブラームスの切符しか入手できなかったからだろう。
ブラームスの演奏の差異については、その頃は今以上に判らなかったからだろうけど、飛行機嫌いなムラヴィンスキーは日本の聴衆が気に入って何度も来日したので、何とか入手できた切符だった。
学部生時代からブルックナースノッブだったボクは、ムラヴィンスキーの第8番のレコードを持っているけど(モノラルかな?)、それほど好きな曲でもないのにジックリ聴けるのは演奏がイイのだと思っていた。
大木正興という音楽評論家がラジオで、「ロシアのブルックナー演奏の評価が一般には低いけど、私はムラヴィンスキーの演奏は良いと思う」と語っていたので我が意を得て嬉しかったものだ。


番組でもムラヴィンスキーショスタコービチは仲が良かったので、「革命」を始め交響曲などの初演が多いと言っていたけれど、皆さんが「知りたくない真実」を伝えておけば、『ショスタコービチの証言』(ヴォルコフ編)によればショスタコービチはムラヴィンスキーのことを《わたしの音楽をまるで理解していない》《交響曲第5番と第7番でわたしが歓喜の終楽章を書きたいと望んでいたなどと、およそわたしの思ってもみなかったことを言っている》(265ページ)と非難しているのだナ。
ショスタコービチに言わせれば、歓喜歓喜でも「強制された歓喜」なのであって「革命」や「レニングラード」(第7番のニックネームであって、終楽章はレニングラード包囲からの解放戦勝利を描いたかのように、ラベル「ボレロ」のパクリで1つのメロディが各種楽器で奏でられながら盛り上がっていき、最後は最大限の音で終わる点は第5番の終楽章にソックリ)の大衆的な分かりやすさは、いわゆる「社会主義リアリズム」路線を強いられて嫌々書いた曲だということを忘れるべきでなかろう。
ショスタコービチが思いのままに書いた第4番がモダニズム(資本主義)に染まっているとスターリン達から批判されたので、仕方なく「社会主義リアリズム」に沿って書いたのが第5番であり第7番だという事実。
作曲家からすればバカバカしい思いで書いた曲が現在でも受けるというのは愉快じゃないかもしれないけど、創作した側のモチーフとは異なって評価されるというのは芸術作品の宿命だから仕方ないという面が伴うネ。
それにしても第4番のことなど全く知らない頃、新聞のコラムのような小記事で、島田雅彦がこの曲が好きだとか書いていたのを覚えている。
島田の小説はあまり好まないけど、昭和ゼミで福富クンたちが取り上げて議論していたのを感心して聴いていたものだ。
以前ブログに記した通り、蓮實重彦小森陽一文芸時評朝日新聞)が現代日本文学の状況がまるで分ってない不満を抱いていた頃、時評担当が島田に代ったら一変して理解できるように解説してくれたので驚いたものだ。
やはり研究者が文芸時評などにシャシャリ出ると、恥をかいて終るだけだから気をつけなされ!
話がズレたけど、ショスタコービチの第4シンフォニーについて語るとは、島田雅彦という作家は外大でロシア語を専攻したせいもあるのかもしれないものの、むやみと音楽に造詣が深いとビックリしたナ。
その後、音楽番組でオペラのアリアを自分で歌ってしまったのは、ご愛嬌ながらも見っともなかったネ。
小説は好まないけど人間として敬愛しているので、今日もむかし録画した「ウフィッツィ美術館〜ルネッサンスの光と影」という番組の島田の感想を残しながらも、佐藤江梨子というバカ女の発言の部分は消去して他の美術番組を録画したヨ。
「らららクラシック」の再放送をおススメしておこうと思って書き始めたら、やたらと長くなってしまい自分でも驚いているし疲れたからこれで止める、オヤスミナサイ!