東大国語国文学会で学大卒業生に出会う

 この前の4月17日、東大の学会に参加したのは数年前の自分がパネリストだった時以来なんだけどネ、多田さんから「あまり来てくれないネ」と言われてしまったんだネ。「こんな敷居の高い学会なんか来ないヨ。今日はオスギ(杉本優という「畏るべき後生」)が司会するから来ただけだヨ。と切り返したものだネ。テーマが「研究の文体」で興味深かったせいもあるかもネ。会報に載っていた発表要旨を見た限りでは期待できなかったけどネ、結果はそれ以上だったネ。
 この学会は日本語学・古典文学・近代文学の3分野から卒業生3人をパネリストに呼び、共通したテーマで発表・議論するというものなんだネ。自分の時には日本語学の人が外れがちな印象でネ、その時ほどではないんだけれど今回も他の二人の話に絡んでこない感じだったネ。
 古典文学の人は内田樹のファンらしくて(学生時代の同級生だった内田について、このコーナーで暴いたブログ記事は消えてしまったのかナ?)、テーマに関係した内田の発言だけでなくて「授業のシラバスを詳しく書かせるのは大学の自殺行為だ。」という言葉を紹介してくれたんだネ。内田の名言には違いないけど、言葉は異なりながら同じことは他ならぬ学大のシラバスで主張してきたので嬉しかったネ。「授業は生き物だから先のことは分からない。流れに任せて授業を展開するので、年間のスケジュールなど分かるはずがない。」と言い続けてきたんだけどネ。驚いたのは八代とかいうタレント弁護士がテレビで同じようなことを言ってたんだネ。「教員が決まり切ったことを話していると、学生が参加する余地が無くなって意欲を失うのだ。」というような内容だったネ。バカじゃないネこのヒト、勢いだけの橋下知事とは質が違うネ。タレントは皆オバカかと思っていたけど、つぶやきはもちろんネ。
 ハナシが飛んじゃったけど、「研究の文体」と言えば近代文学の立場で発表した藤沢るりさんが言うまでもなく三好行雄越智治雄なんだネ。お二人が近代文学研究を領導していた「作品論の時代」は、お二人の「研究の文体」が評価された時代でもあったんだネ。誰も言及しなかったけど、同時代の秋山虔も古典文学研究で文体を持っていた稀有な人だったんだネ。あの時代の研究者は小林秀雄の影響が濃いので、三好・越智両師の論に出てくる「歌」というのは、小林の「批評とは己の夢を懐疑的に語ることだ」という名言の「夢」に相当するんだネ。その後は種々の道具を使って分析する時代になってしまったので、研究の文章や「文体」など全くモンダイにされなくなったんだネ。
 東大の現役の先生方が「たまぁにしか来ないなら、せめてシンポジウムを盛り上げろ。」と言うから上記の小林・秋山にまつわる補足以外にも質問したんだけどネ。「文体」が問われなくなったということは、諸理論と同様に言葉も単なるニュートラルな道具として受容されるようになってしまったということだネ。だからということでもないんだけど、一つは研究の言葉について質問したんだネ。吉本隆明が指摘した言語の二面性、つまり指示生と自己表出生のことだけどネ、研究の言語も発せられた(記された)時に既に自己表出生を帯びるわけだから、そこには既に「文体」の問題が発生しているはずではないかとネ。誰か答えられる?
 もう一つの質問は、日本語学の人が比較していた史学との差異という問題。学生の頃は三好師が言う、歴史記述は客観的な要素が強い点が文学研究と異なる、という考え方に反対してエロシ(高橋博史)を始め皆で呑みながら絡んでいたものだったネ。
ホメロスの時代から歴史は語られる(記述する)ものである以上、「文体」の問題が発生せざるをえないよネ。オスギが歴史学者は「資料に語らせる」と言うと紹介したけれど、問題は「語らせ」方だよネ。当然語り手の差異が出るはずだから、「文体」の差異となって表れることになるよネ。歴史がニュートラルに記述できるなどと、現在の歴史学者は考えてないのに、文学研究者の側で勝手に歴史学を学問の範型にしているだけだと思うんだけどネ。どう?
 最後になったけど、会場にチサト(川上)がいて2年で修士を了えて博士課程に進学できた、と報告に来てくれたんだネ。スゴイね。彼女は学大から東大大学院に進学したんだけど、学部のクラス担任は他ならぬボクなんだネ、ホント。彼女の研究能力とクラス担任は全く関係無いけどネ(ボクの演習には出ていたけどネ)。もう一人の「畏るべき後生」である安藤さんは、「生え抜きの東大の学生には無い、型にはまらないモノを持っている。」と褒めてくれたけど、嬉しかったネ。
 長くなってツカレタから止めるネ。