これって童話? (宮沢賢治)

卒論で賢治童話を取り上げているセンちゃんが欠席だったけど、院生のキッド君が参加して議論を深めてくれた。
さて「ビジテリアン大祭」だったけど、これがなぜ童話とジャンル分けされているのか、納得しがたかった。
聞き手(読み手)を想定しようとすると、どうしても「童」ではないと言わざるをえない。
ケイちゃんがこの問題について、「繰り返し」を根拠に童話説を補強した手際はさすがだったけど、イマイチ乗れなかった。
国木田独歩牛肉と馬鈴薯」同様のディベート小説(?)だと受け止めたが、キッドが言うように、息苦しいばかりの論理の詰め方から言っても童話とは言い難い。
この作品を選んだアイ〜ンだけあって、真の菜食主義者たる「私」の孤独感を強調する読みは理解できるが、やはり乗れない人が多かったようだ。
時間切れ以後に貴重な意見が出るのもいつも通りで、キッドがテクスト冒頭近くで「私」が「空虚(から)のトランク」を持っている箇所にこだわり、これと末尾の「私」の空虚(アイ〜ンの言う孤独感)と結びつける考え方を述べたのは、アイ〜ン説の補強になった。
末尾の舞踏の映画が「会議は踊る」を思わせたが(だとすれば空虚感の補強になる)、この映画が作られたのがいつか気になったまま。
だれか教えてくれ。
来週は「よだかの星」だよ〜ん。