安吾研究会印象記

レ・ヴァン・フランセという世界最高級の管楽グループが再来日し、「ららら・クラシック」(日曜夜9時)という番組にも出ていた。
スタジオ録画の聴衆として招かれていた音楽大学生が「自分は演奏が終わると虚脱感に囚われるが、皆さんは?」と聞かれたら、日本でも馴染みのフルーティストであるパユが「自分は反対で、アドレナリンが出まくって眠れなくなる。」と応えたのを見て笑えた。
ほとんど今のボクの状態なので、自分の現状が理解できたようで救われた思い。
長期休みになると小まめに昼寝するので、まとまった睡眠ができなくなるのが常だが、このところ常にも増していつの間にか椅子に座ったまま熟睡してしまう反面、横になっても眠れなかったりで困っていたところ。
アドレナリンが出るのは「状況への失言」に曖昧な形ながら記したとおり。
時おりは息抜きのため、今書き始めたような軽いものを記さないと亢奮が収まらない感じ。(これは二日くらい書き溜めたもの)

16日土曜日に早稲田大学で催された坂口安吾研究会に参加して来た。
この研究会から依頼された論文を、締め切りを8ケ月以上遅らせて漸く仕上げたばかりなので、編集担当者に直接お詫びを伝えるためにも行かねばならなかったしだい。
3本の発表ともテクストに閉じて分析することはせずに、様々な切り口に合わせてテクストから該当箇所を抽出して見せるという最近の傾向を示していた。
2本目の途中で、会場の外からうるさいオバサン風の声が聞こえたので注意をしに行こうかと思っていたらリン(林淑美)さんだった、やっぱり!
リンさん来たので、久しぶりに会った浅子さん(研究会を支えている人)とボクの3人がアラカン(超還?)で、他の参加者からは明らかに差異化されて見えたのが感慨深かった。
この連中はウルサイことでも知られていて、案の定、発表後の討論になったら独壇場、殆どこの二人(特にリン)の発言で時間が費やされてしまった感じ。
もちろん二人の発言は、リンさんはその骨にも達する切れ味で、浅子さんは安吾に関する知識の深さ・広さで、それぞれ意義深いものではある。
ボクからすると何十年ぶりにリンリン節を聴いた思いで、懐かしさに満たされた。
でも発表者を立てることと、若い世代に発言させようとする気配り・教育的配慮はもっとあっても好い。
リンさんがあんな調子で演習の授業していたら(一方通行の)講義と同じになってしまい、学生がジックリ考えたり議論したりする力が養えなくなってしまうと心配したくらい。
自分でもそれが気になったのか、懇親会の席で「セキヤは私のこと嫌っているのだろう?」と何度か絡んできたけど、もちろん腐れ縁的な愛情でくっついているのが前提の言葉。

矢田津世子についての発表は、安吾研究者のニワカ勉強にしてはよく調べたもので聴いていて教えられる点もあるが、女性作家の活動に関するリンさんの鋭い指摘(というより突っ込み)はごもっともで、今後はもっと慎重な分析が求められるだろう。
ただリンさんの正論(指摘)を同じようになぞっても面白みは無いので、例えばリンさんの言う昭和13年を分節期とする見方を意識しながら、さらに昭和8年創刊の『日暦』の女性同人達の在り方まで遡って検討するというやり方もあると思う。
安吾「花火」論は立教大学の学会で聴いたものと同じだったので、本人には個人的に注意した。
立教という小さからぬ名前の大学で外に開かれた形の学会で発表した以上、それを小さい研究会かもしれないが全国区の安吾研究会で同じ内容で発表するのはルール違反の気がするから。
テーマ発表だから一つ一つの作品が細かく分析できないのは仕方ないとしても、「花火」を単に「青鬼の褌を洗ふ女」のプロトタイプとしてしか認めない物言いには賛同しかねた。
リンさんもそれを追認した捉え方で発言していたので全体討論の際に疑義を呈したいと考えていたら、司会の山根さんがボクの言いたいことを言ってくれたので、3人目のウルサイ超還暦にならずに済んだ。
石川淳の「修羅」は未読だったので、行きの電車内で読んでいたらムヤミに面白くて乗り過ごしてしまった。(とはいえ「八幡縁起」は読んだ形跡があるのに、全く覚えがない。)
昔「解釈と鑑賞」から「新田義貞」とかいう当時の自分にはツマラナイ作品を宛がわれたものの、他に書きたいものがあったので断ったのだけれど、今読み返したら結構面白いのかもしれない。
それはともかく、発表は今一つ言いたいことが伝わってこなかった。
元々この会では役員・委員もやってないのだから無理に懇親会に出る必然性は無いので、学芸大生の参加者サットマンを連れてご褒美にオイシイ物を食べに行こうかと思い、リンリンの魔の手(同じ町に住んでいるので、捕まったら帰宅するまでタイヘンなのだ!)を逃れて飲みたいワインのために地元に戻って洋食系店に行こうと思っていたら、会場がイタリアンだというので合流することにした。
サットマンの専攻が安吾だし、近々ボクが定年でいなくなるので、他の二つの大学院を受験するというその両方の大学の院生・修了生がいたためもある。
(文学研究を本気でやるなら、文学部に行けとは常々言っている。)
ボクの期待以上に安吾研究会のメンバーに溶け込んで飲食していただけでなく、メール等のやりとりもしていると思ってみていたら、何と既に会員になったとのこと。
合流して良かった!
学会の役員や委員を引き受ける前までは、学会に行くと帰りは知り合いの学生と飲みに行くことができたものだ。
現職の助手のメイさんを例にとれば、彼女が院生だった時に、たぶん近代文学会が立教で開催された時だと思うけど、他に聖心女子大院生だったミッチャンも誘って池袋で飲食したこともあった。
というわけだから、今後は学会に参加したらご褒美にオイシイ物をゴチソーすることもあるから期待していい、様々な魔の手に捕まらないかぎりだけど。
その代わり酔ったイチロー君を地元まで連れて帰るのだヨ、サットマンみたいにご丁寧に国立まで一緒にいて起こしてくれる程でなくてもいいから。
2時間くらいしか眠らないまま出かけたものだから自覚以上に酩酊していたのか、帰宅したら鞄の外ポケットに警備員のバイトの「研修内容」なるパンフレットが入っていてビックリ。
サットマンじゃないと思うけど、これを読んでお気づきのヒトは連絡下さい。

サットマンの収穫は大きかったけど、ボクも収穫(?)があった。
数年前から非常勤から解放されてとても有意義な時間を持てているけれど(一橋大院は連携教授で非常勤とは全く別待遇)、それに味をしめて定年後は現役学生の教育を断って(卒業生とはゼミを続けたい)読み書きの生活に徹したいと考えている。
教育は結局はくり返しであり、教員は代替可能だけど、研究は(レベルはともあれ)代替不可能な創造行為だから。
4月に発表した「太宰文学の特質」(『国語と国文学』)を昨秋から書いていたら、教育と学内問題(セクハラ等)に追われていたために打ち込めなかった文学研究の楽しさ・充実感を思い出したためである。
人生も4コーナーを曲がり、後はゴール目差して短い直線距離を走るだけとなったという自覚も大きい。
春に自宅の本を整理したら、読むのを先延ばしにしたままのものの厖大さにショックを受けて、早く読まないとボケるか死ぬかして読めないままになるのが口惜しいと思ったから。
ともあれ収穫であるが、会場で久々に会った人から来年度の非常勤講師を頼まれ、上記のような心境を伝えつつ若い研究者に職を回してあげた方がいいと最初はお断りした。
ところが受講するであろう院生達の名前を聞いたら、以前修士課程でボクの授業に参加していたのが多いので「その気」になりつつある。
もちろん依頼してくれた人の一存で決まるわけでもなかろうが、ボクが行けば少しでも風通しが良くなるだろうし。
となると、来年の金曜は久々に毎週遠出をすることになりそうだが・・・