次こそ「刺青」

前回の補強をやり過ぎて目標の「刺青」まで入れなかった。
「城の崎にて」に出てくる「殺されたるハンの妻」を<他者>の許容として読み、志賀直哉における<他者>の容認は大正6年とすることができる旨を講義した。
漱石における<他者>の容認は、自己完結気味な「行人」「こころ」には現れず、「道草」「明暗」に出現する。
白樺派の武者小路が「それから」論を発表することを通して漱石を受け継いだ

(と、以上が先週記したまま、続きを書くのを忘れていました。お詫びします。
10月締め切りの原稿に追われて、身辺落ち着かないでこんなことになってしまいます。)