中村三代司氏の逝去  セクハラ退治の勇士?

情報が行き届いていない可能性もあるので、念のために記します。
淑徳大学の中村氏が8月28日に逝去されました。
通夜は9月3日6〜7時、告別式は4日11〜12時。
場所は府中の森聖苑(府中市浅間町1〜3)第一式場。

中村氏は出身大学は異にするも、共に三好行雄門下として長くお付き合いをいただきました。
残念でなりません!
ふだんは真面目極まる「紳士」のイメージですが、あれでもの凄く芯の強〜いところがあり、その厳しさゆえに尊敬する先輩でした。
私が至文堂からの依頼で「和解」論をまとめていた時に、50枚を超える予測で膨れ上がってしまったので、20枚以下という『解釈と観賞』には「『和解』論の前提」という先行研究批判の小論を寄せました。
何かの集いの際に、中村氏から「関谷さんは他人の論を批判するだけではダメだヨ。自分の論を書かなければ。」と言われ、その率直さに感じ入りました。
「和解」論50枚をまとめている最中だと応えたらすぐに納得してくれましたが、それ以来中村氏との距離が縮まり親しさが増しました。
「和解」論を中心とした『シドクーー漱石から太宰まで』を出版した際にも、「関谷さんの前書きを鵜呑みにして、あの本を国語教育のものだと勘違いした書評があったヨ。」と教えてくれながら、私以上にその勘違いオバサンに怒りを露わにしてくれていたのが嬉しく懐かしく思い出されます(その書評は未見)。
専門領域以外でも、同僚のセクハラを見逃さずに内部告発(?)したために一時期は無言電話が続いたので、番号を変更していたことがあったと記憶しています。
この名うてのセクハラ爺は前任校でもセクハラで解雇されたのだそうですが、大学の先輩である三好師の温情で再就職できたにも拘わらず、学生の前でもたびたび平然とセクハラ行為に及んだので中村氏も見逃せなかったのだろうと思います。
セクハラというのは病気のように繰り返すのだそうですが、学界では「あんなヤツに再就職の便を図った三好さんが悪い」と言う人まで現れたそうで、師匠に同情した記憶もあります(この件は東京学芸大学近代文学3ゼミ合同の機関誌『青銅』に書いたことがあります)。
昨年ブログやビラ撒きによって学大のセクハラ爺退治をした私としては、中村氏に対する敬愛の念を新たにしながら故人を偲んでいます。