賀状への感想  「中退」の語感

暮れ正月は意識しないようにしていたのだけれど、このところ桐原の校正の仕事に追われている。
いつものように締め切りが近づいてきたからだ(在職中は締め切り日が過ぎてから原稿に取り組むことがよくあったけど、至文堂のを始め)。
というわけでゼミの準備も手薄になっているけど、参加者の能力に期待できるので安心している。
それにしても「美しき町」がこんなにツマラナイ作品だったとは、記憶とは全然違っていた。
若い頃は楽しめたのかナ? 「西班牙犬の家」が素晴らしすぎるので、再読に期待したせいかな。
つまらないテクストを面白く読むのがレポと参加者の能力だから、そちらには本気で期待してるヨ。
このところツマラナイ(個人的には嫌いな)作品が続いているのも変な巡り合わせ。
帰国中のユキオちゃんに上げる仏文系の本が沢山あるので、他の人に上げる本を持参できない可能性があるので、予めご容赦を。
ゼミに来ていれば上げる機会があるから焦らずに!

さて本題は賀状に記された一筆へのコメント。
改めて全部を読み返してからの感想ではなく、取りあえずのコメント。
新婚早々のチハル姫が、ボクの賀状を読んで二人で「爆笑」したというのだが・・・今年は近況報告なので、そんなに笑えるとは思えないのだが下ネタの一言かな?
ともあれ読んでクスッと笑えたのが宇大卒のユタカ君の、「安心して下さい、元気です」というもの。
ユタカ君は言われるまでもなく元気だとは思える人だけれど、心配している人から元気そうな様子が伝わるととても嬉しい。
特に学生時代にボクも苦労して何とか卒業できた人からの便りは喜ばしいものだ。
学大博士課程を中退した人が「中退は聞こえが悲しいですね(笑い)」の一言を記していたけれど意外だった。
時代が違うのかな、ボク(等)の世代は「中退」にカッコよさを感じていたのは、有名な作家などが大学を中退していたイメージからか。
だからボクも自著の簡略な経歴には、堂々と博士課程中退とウソを記してきた。
ウソというのは、正式には単位を十分取得した上での「満期退学」と書くらしいところを、「中退」の美句に惹かれて「満期退学」を拒絶してきたからだ。
上述の人は単位も不足でホンモノの中退だから胸を張って然るべきだと思うのだが、反対に自虐しているのは良くないと思う。
人間の価値は学歴や資格ではないのはもちろんだし、大学教員でも昔は大学院を出てない人がいて、そういう人は実力で築き上げた地位だけに立派だと感じたものだ。
師匠の三好行雄が時々「海外に出れば君たちのがエライのだからネ」と洩らしていたのを思い出す。
三好師や秋山虔先生の世代は戦争のせいもあってか、大学院を出ていないのを指してボク等の方がエライとカラかっていたのだろう。
ずいぶん前に書いたと記憶するけれど、ボク等の世代は博士号を取得するとバカにしたものだが、それもドエライ三好・秋山師たちが修士でさえなく学士だったせいもあったかもしれない。
学歴や資格は空しく、問われるのは実力だという発想は未だに拭えないけれど、今どきの若手研究者には博士号取得を勧めているのは時代が変わったからで仕方がない。
そんな次第だから博士課程中退に引け目を感じて欲しくないのだナ。