井上光晴は面白い

5人の主要人物それぞれの「叛逆者たち」が語られる中で、李陣正子をピックアップしてテクストにおける正子の占める位置を読んでみようというのがレポの意図。
その際に他の4人と正子を差異化して、「叛逆者」とは一線を画した存在と位置付けるのだけど、まずはそこに疑問が集中した。
言動だけに注目してしまうと「叛逆」のイメージから遠い存在に見えるだろうが、彼女たち演劇志向グループの「瘋癲」意識は当時で言えばヒッピーの自覚であり、ヒッピーは気分としては「叛逆」なのだ。
制度や日常性に巻き込まれることを拒絶して生きることを選んでいたのがヒッピーであり、演劇のみならず音楽に生きる若者が多かった。
ヒッキー先生が分かりやすく示してくれたように、長髪とジーパンが制度や社会に対する《抵抗》の姿勢だった。
レポは「心優しき」と「叛逆者」とが逆のイメージであることを見落としていたけれど、「心優しき」ところがヒッピーの在り方だったと言ってよかろう。
若いレポにはイメージしにくいだろうから、その点でも難しいテクストを選んだものだ。
(逆に当時を生きたボク等としては、懐かしさに駆られて井上光晴を再読したくなるというもの。)
それでも正子を差異化するとしたら何によってなのか、課題は困難だ。
5人の人物が生きた1969年の5月の2日間が語られていると指摘されてビックリ!(疑問が出されて3日間だろうということになった。)
「運命紙」と「霊媒紙」との違いを《生》と《死》の差異として読もうとするレポの意図も伝わってきたけれど、面白いけれど十分な説得力を感じなかった。
停電の暗さにめげずに少数精鋭の7名で始めたが、終わってみれば4時間の熱い議論(と昔話?)だった。
レジュメを練り直しながらテクスト全体を読み切って論文化してもらいたいものだ。
井上を研究する人がほとんどいないと聞くと、ぜひその道のプロになってもらいたい。

お約束のナオさんの手作りクッキーと、マチルダさんの高級菓子の差し入れその他を食しながらの議論だった。