黒岩裕市『ゲイの可視化を読む』  村上春樹の偏見・差別意識

コウ(日の下に光と書く漢字だけど出ない)洋書房、1800円(税別)。
小粒ながらピリ辛、読む者の盲点を突くモノスゴク大事な本、読まない人は一生盲点を抱いたまま嘲笑され続けることになるのでゼッタイの必読文献。
黒岩氏の実力は院生の頃から際立っていて、指導教員の佐野泰雄は学生時代からの友人で、東大仏文科助手の頃にフランス語文献で世話になった人(『小林秀雄への試み』の巻頭論文の注に佐野氏の名が記されている)。
その佐野氏が一橋大で指導していたのが黒岩クンで、佐野氏から「日本文学で論文を書いた学生がいるので読んでみてくれ」と言われて読んでビックリしたのが黒岩クンの鴎外論。
その頃から先行研究には無いゲイという切り口でじつに鮮やかにテクストを読解・分析している上に、論文の書き方も一人前の研究者並みのレベルで訂正する箇所など無かった。
佐野氏にはこのまま貴重な論文になるから投稿すればいいと応えたけれど、黒岩氏はその後も三島や堀辰雄などで近代文学研究者に衝撃を与え続けているわけである。
院の授業でも、仏文の学生とは思えないほど日本文学にも詳しいのも驚きであったが、何を取り上げても水準を超える興味深い発表・発言をするので感心するばかりだった。

さて、まだ序章と第1章の半分くらいしか読んでいないのに紹介するのだが、序章だけ読めば本のテーマの方はお伝えできるので、あとの章はテーマに即したテクスト分析の優れた手並みを味わえるし、参考資料も教示されるので啓蒙される。
読み始めると、(硬直化したヘテロ老人のボクに限らず)いかに世間(世界)がLGBTについて無知そのものであるかが判り、唖然としつつ反省を強いられてしまう。
進歩的な言動をしている者こそが、かえって新たな偏見に囚われてしまっていながら新たな差別意識を作り出しつつヘテロ社会を補強しているかが明らかにされるので、極めて衝撃的な指摘だ。
LGBT問題の難しさ、あるいは差別の構造から免れることの困難さが分かり易く展開されているので、自分は偏見など無いから大丈夫だと意識している人ほど、自己欺瞞を自覚するために読んでおかなければバカにされる本だ。
その一見進歩的なインテリ作家の代表として村上春樹が上げられているのだから、テーマを具体的に理解しやすくなっている。
ハルキを読んでイイ気になっている読者は、黒岩本を読んでハルキ同様に差別・偏見に囚われている自分を発見し・目覚めなければならない。

序章は同性婚を承認した渋谷区の話題から始まるが、渋谷区は進歩的でイイ・他の市町村のみならず都道府県全部したがって日本国でもそれを認めるべきだ、という類の単純な受け止め方の誤解や気楽さが正される。
ダイバーシティ(多様性)というと聞こえはいいものの、多様性や創造性を擁護・推賞することが実は新自由主義の補強につながってしまう、という思いも及ばなかった陥穽(カンセイ=落とし穴)に気付かされる。
《ヨーロッパ諸国のように、福祉国家を経た上でその再編として新自由主義が主張されたわけではない日本では、労働者に壊滅的な影響を与えた》(渡辺治)という状況を知らぬまま、むやみに性の多様性を許容する言動は経済的差別を隠蔽しかねないことになる、という指摘はまさに目からウロコ。
第1章で展開される、ハルキは自分のテクストに少なからぬゲイを登場させてLGBT擁護の立場を表明しているように見えるものの、実はヘテロ規範を補強してしまっているという構造を、ドゥガンの思考を援用しながら暴いていて鋭い。
どうだ、読みたくなったろう?!