日和聡子  詩集『砂文』  立教大学卒業生  大高翔

今はほとんど小説家としてのみ知られているだろう日和さんは、実は(藤村・花袋の昔から)よくあるように元々は詩人として出発した人だ。
2001刊行の詩集『びるま』(と『唐子木』)が佐々木幹郎さん(や中村稔さん)に激賞されて中原中也賞を受賞し、一躍詩の世界にデビューした人。
たまたまボクが立教大で学部の演習授業も担当した際に受講していた縁でこの詩集を贈られたのだけれど、イメージが斬新過ぎてスゴイのは伝わっても理解はできなかった。
授業が終わった後だったか、ボクの一番好きな作家である梅崎春生で卒論を書くと聞いて嬉しかったという記憶はあるし、いかにも詩を書いても不思議はない感じの人だとは思っていたので、詩集をもらっても違和感は無かった。
(別の年度に大高翔という女性俳人が受講していたけれど、卒業後に贈られた第一句集にはそれほど感心しなかった。もちろんボクが俳句鑑賞のシロウトだからでもあるけれど、その後にテレビで見かけても俳人である母親の七光りから脱していないという印象が強い。これなら先般紹介した藺草さんの俳句の方がホンモノの感じがする。)
その後は詩の発表を見聞しない一方で、文芸誌の小説欄に名前を見るようになった。
中でも「火の旅」といういかにも梅崎春生を思わせる作品だけは雑誌を購入したけれど、在職中ずっと本棚からそそられたものの読む余裕の無いまま退職後の楽しみとなった。
とはいえ退職しても想定外の忙しさで、未だ読めないままでいたけれどこれを機に読んでみよう。
この度、新聞の文芸誌広告で『新潮』12月号に日和さんが萩原朔太郎賞を受賞したとあったので、日ハムの日本一が決まって余裕ができた昨日、地元の本屋で立ち読みしてきた。
ここでも選考委員の1人が佐々木幹郎さんだったのでゴヒイキからの授賞かと思いきや、他の吉増剛造・松浦寿樹といった信頼すべき詩人たちも絶賛していたので安心しながら受賞を喜んだ(なぜか詩歌が分かるとも思えない三浦雅士が委員に加わっていたけれど、三浦も賛成していたからイイだろう)。
幸い『新潮』には詩集『砂文』から数篇掲載されているから、ぜひ立ち読み(できれば購入)してもらいたい。
『びるま』の頃とそれほど隔たった作風とは思えなかったけれど、初期とはことなりトガッタ感じではなくなり親しみやすくなっていると思う(けど難しい)。
間もなく新年号が出ると店頭から姿を消すだろうから、今週中に本屋か図書館で読んでみてもらいたい、そして日和さんの詩や小説のファンになって欲しいと願う。
ついでと言っては失礼千万ながら、梅崎春生の「桜島」や「幻化」(共に桜島阿蘇山といった「火」の山が舞台となっている物語)を未読の人は読んで感動してもらいたい(と日和さんと共に願う)。