金子兜太の死と詩(句)  藺草慶子  大高翔

金子兜太がいよいよ死を迎えた、98歳という。
知らない人のために註しておけば、昭和を代表する俳人であり、個人的に好きな句の作者で句集を持っているのは、兜太のほかは村上亀城と高柳重信(師三好行雄の俳句の師匠と聞く)の3冊だけだ。
教科書にも載っていることが多いけれど、そもそも俳句のみならず詩歌全般を授業で取り上げない教員が多いようなので、知らない人が多くなるのが道理で残念。
ボクも記憶の限りでは高校時代に教科書で知った俳名だけれど、残念ながら嫌いな句だった。
 銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく
恩田侑布子という俳人の解説(朝日新聞「俳句時評」2月26日)によると、30代後半の句で「拝金主義を告発する」批判精神が現れているとのこと。
兜太の「批判精神」には惹かれるけれど、この句には《詩》が欠けていると思うので評価できない。
桐原書店の教科書には(書斎とは別の所に置いてあるので未確認ながら)、たぶんサッチャン(小林幸夫)が紹介してくれてシュンテン(故花田俊典)もボクも収録を賛成した次ぎの句が載ってると思う。
 彎曲し火傷し爆心地のマラソン
銀行員の句とは異なり、遥かに前衛的な詩句が詰まっていて迫力があってピカイチの句(原爆の掛詞を狙ったわけじゃないけど)。
最近は若い人も俳句に関心が強まっているようで、ボクの周囲ではサブカルチャー評論家・矢野利裕の夫人であるサトミちゃん(鈴木さとみ女史)が意外に俳句の世界で活躍しているそうだけれど、皆さんも兜太の死を機に俳句を楽しんでみることをおススメします。
たった今思い出したのはボケた証拠だけど、以前ブログに記した藺草慶子さんも、立教大の学部の授業を受講していたこともある大高翔さんも、それぞれ俳人で俳句の賞(賞の名は忘れた)を獲った人だった。

西部邁の死  佐伯啓思

金子兜太の98歳の死は文字どおり大往生だったけど、先般「散歩に行く」と言い残して多摩川自死した70代の西部邁(すすむ)の死も別の意味で大往生だと思う。
月に1度(?)朝日新聞(2月2日)に「異論のススメ」を連載している硬派の評論家・佐伯啓思氏が、西部邁の死を肯定的に捉えていたのは賛同できた。
カン違いされては困るので亡くなった時には書かなかったけど、西部さんは彼なりの生き方を最後まで全うしたという意味で大往生だと言えるだろう。
病気やらボケやらで西部邁が「西部邁」ではなくなった時に、彼は己れの生涯をその時点で終わらせたということだ。
最近かなりボケが進行している田原総一朗が司会役を務める討論番組の常連として、西部邁を知っている人も多かろう。
若き日の中沢新一が東大教養学部に就職する人事が阻害された際に、抗議して東大を退職して話題になったのが西部邁だったのを知っている人はどのくらいいるのかな?
いかにも西部邁らしい言動だったけど、最後までその「西部邁」を貫いたことに敬意を表したい。
晩年の西部さんの苦悩の深さを知りもしない若者が、何かになる前に死にたがるのは甘ったれでしかなく、絶対に許容できない。
自分の生を生き抜いて、自分が自分でなくなった時に自死を選ぶか否かの選択があるだろうけど、なまじ生きることもしないうちに死を選ぶことなかれ! ということだネ。