西部邁の死  佐伯啓思

金子兜太の98歳の死は文字どおり大往生だったけど、先般「散歩に行く」と言い残して多摩川自死した70代の西部邁(すすむ)の死も別の意味で大往生だと思う。
月に1度(?)朝日新聞(2月2日)に「異論のススメ」を連載している硬派の評論家・佐伯啓思氏が、西部邁の死を肯定的に捉えていたのは賛同できた。
カン違いされては困るので亡くなった時には書かなかったけど、西部さんは彼なりの生き方を最後まで全うしたという意味で大往生だと言えるだろう。
病気やらボケやらで西部邁が「西部邁」ではなくなった時に、彼は己れの生涯をその時点で終わらせたということだ。
最近かなりボケが進行している田原総一朗が司会役を務める討論番組の常連として、西部邁を知っている人も多かろう。
若き日の中沢新一が東大教養学部に就職する人事が阻害された際に、抗議して東大を退職して話題になったのが西部邁だったのを知っている人はどのくらいいるのかな?
いかにも西部邁らしい言動だったけど、最後までその「西部邁」を貫いたことに敬意を表したい。
晩年の西部さんの苦悩の深さを知りもしない若者が、何かになる前に死にたがるのは甘ったれでしかなく、絶対に許容できない。
自分の生を生き抜いて、自分が自分でなくなった時に自死を選ぶか否かの選択があるだろうけど、なまじ生きることもしないうちに死を選ぶことなかれ! ということだネ。