今年の一年生はヤル気マンマン

毎回記すつもりだけど、あれこれメチャ忙しくて先週21日は書けなかくて残念。
先週は予定外に「炭鉱地帯病院」に時間を費やして、井伏文学から日本文学の笑いについて話してしまった。
この作品はいわゆる「真相」があって、三人の証言が意識的に嘘を吐いていて、自分達弱者を守るために責任者を特定できないようにしている、ということを確認した。
それに対して今日28日にやった「藪の中」には「真相」が無い、という基本的読み方を紹介・確認した。
三人の主観的な<真実>には嘘が無いとすれば、客観的な<事実>はどうだったのか?
柄谷行人の説、芥川が書いたのは「<事実の相対性>という観念でしかない」という把握はスゴイが、昔「藪の中」を講義した際に受けが良かったハイゼンベルクの不確定理論を持ち出して、<事実>自体が一つではないという20世紀の認識・世界観を紹介してみた。
黒澤明羅生門」という名画の内容は、「藪の中」のドラマだという補足をし忘れた。
次回は志賀直哉「范の犯罪」で、芥川の場合とは異なる「<他者>の不在」を読んでみたい。
その前に予告しながら今日できなかった「鯉」の解説を手短に話す予定。
(眠いので簡略でゴメン!)