このところ記し忘れが多いが、今日の授業中にブログに記す約束をしたので、とりあえず今日の分。
漱石の龍之介宛て書簡で、午前中に「明暗」=<西洋>(バター臭い)風三人称小説を、午後は漢詩=<東洋>を作って自己救済を図るという構図を確認した。
太宰「女の決闘」を例に、太宰文学の特色である<パロディ>と<メタフィクション>を説いた。詳しくは来週『晩年』の資料をもとにして、<方法>意識の強い作家の諸相を解説するつもり。作中の私(DAZAI)の≪漱石は退屈≫という言葉をきっかけにして、漱石は一般読者には評価されているが、専門の作家の評価はそれほど高くないという問題を披露した。昔『文学』で≪反・漱石≫という特集の編集に関わったことを思いだした。専門作家の評価の高いもう一人の作家・志賀直哉評価がはらむ問題については秋学期の文学史で展開します。
鷗外「蛇」において、<蛇>が表象するものは何? という水野さんの問題提起に応えて、<蛇>が前近代で「私」=理学博士が近代の合理主義を表しているという構図を押さえてもらった。鷗外は何よりも啓蒙主義者であった、という基本を理解してもらったが、友人の乃木の殉死を契機に反合理主義的になったという話はまた後で。