プリントは研究室のドアの封筒内

お待たせしました、やっと「文学史」の欄を開設することができました(やり方が分からなかった)。
春学期の感想で、ブログの更新が少ないとあったので、今学期はガンバッテ記します。

先週は120枚も用意したのに足りなくて、ザンネンながらプリント授業ができなかった。
文学史の一つの切り口として、<自己性・他者性・同質性・異質性・多様性>等々のターム(言葉)による各作家の世界の見え方を話そうと思ったのだが、話せなかった。
今週はプリントを利用して太宰と安吾の差異についてやるかどうか未定で、予告した通りに「范の犯罪」から始めて志賀直哉を軸にした文学史の流れの見方を講義することになるかもしれない。
とにかく時間が無いので、あれもこれもやりたい気持が逸って(はやって)いるので定まらない。

最初のオリエンテーションで確認したとおり、教室は今のところ変更する気はないので、早目に行って席取り合戦に励んでもらいたい(前の方が空いているので、言われる前に座っていること)。
出席者の数が減らないようなら、涙を呑んで教室変更をします。
受講者の制限はしないし、国語の学生優先でもない。優先するのは意欲のある学生で、ヤル気の無いモノ(例えばテキスト無しに手ぶらで来るモノ)は歓迎しない。
授業後に「春学期の答案は保存してあるのか、あるなら見たい(返却してもらいたい)」という貴重な(キツイ)質問を受けた。
答案用紙を返さないのも大学の教育が堕落する元なのだが、数学のように答がハッキリしている科目ではないので、例えば全員に返却して見せ合ったりされたら収拾がつかない。
10点満点の問題で、6点と7点の学生が来てその差異を説明せよと要求されたらお手上げである。だから(?)満点以上の点数も付けることにもなる。
質問者に応えたのは、「答案用紙は半年は保ってあるから、どうしてもと言うなら<あなたの答案にはこう書いてある>と読んであげることはできる。」ということ。
もっとも、絶望的に忙しいので、そのレベルの要求には十分応じにくいのが実情。
しかし付けられた成績に納得できない場合は、教員に説明を請求する姿勢は持って欲しい(私の場合は無かったが)。
説明を求められたら、その学生を研究室から閉め出したというクレイジーな教員もいるのが学大の現状、情けない!