アンケートを忘れた

研究法受講者に「進路希望届」の用紙を配布するのを忘れた。
各人が取りに来て、助手に提出して欲しい。
今日は小林幸夫の論の最終章をやってから、重松泰雄の「范の犯罪」論を読み始めた。
院生の頃、最初の小林秀雄論を発表したら、重松先生が『國文学』の「学界時評」で取り上げてくれたのを思い出す。
重松論を選んだのはそのためではなく、<作家>を前提とする旧来の<作品論>を知った上で小林幸夫の論のような<テクスト論>を読むと、その新しさがシミジミ分かると思ったから。
「范の犯罪」そのものを読んだことがないヒトもいたくらいだから取り上げて良かったし、実は今執筆中の論で少しこの作品にも言及しているというのも理由の一つ。
重松氏の世代の論文には、作者の「歌」という表現が出てくることが多い気がするが、高橋義孝が鷗外論で「興津弥五右衛門の遺書」は鷗外の「歌」だと言ったのが最初かと記憶する。
要するに作者が手放しで自己の気持を記した、「即自的な歌」という意味だと思う。
鷗外のこの作品の初稿は「歌」には違いないが、改稿版はパッションがそぎ落とされて「歌」ではなくなっている。
いかにも鷗外らしいバランスの取り方とは言えるけど、ツマラナイ。 
重松論の次は、紅野謙介の「剃刀」論。