心理的引きこもり

 昨日は偶然、心理的引きこもりになっている卒業生・現役生3人の相談等に乗った。
(この時期、大学からその年度の業績を数値化するために自己申告する書類の入力を求められるが、そんなクダラナイことに費やすヒマがあれば学生・卒業生の相談に乗る時間に当てる。)
心理的と限定詞が付いているのは、肉体的に引きこもっている状態ではないので差異化するため。
他大学の院留学生は、研究能力以前に指導教員に日本語能力を疑われて、肝心の研究面での指導を受けられないで悩んでいる。
教員の精神的年齢も疑われる点も感じたが(と言ってもクレイ爺ではない)、今は措く。
学生側の問題は、何よりも独善的に閉じていること。
とりわけて友人がいないことに現われているが、殆どのことで自己完結的に閉じている。
これでは何年日本にいても、確かに日本語が上達しないのも当然、といった感じ。
長いこと日本にいるのに、話し言葉にも随所に誤りが目立つ。
積極的に日本人と話す機会を作っていれば、誤りは減らすことができたはず。
話し言葉は相手が補って理解してくれるからまだしも通じるが、書き言葉である論文になると誤りは一段と目立つことになる。
本人が書いたままだと、指導教員の気持も解らないわけではない位の初歩的誤用が多い。
自己を他者に向けて開いて、積極的に他者と関わろうとする意欲が無いと言葉も研究も人間としても進展が遅れるのは仕方ない。
幸いなことに、学大の学生(少なくとも近代3ゼミの諸君)は留学生に対する面倒見が実に良いのが誇り。
この留学生にも、研究室に出入りして普段から学生とフツーに付き合うことを勧めておいた。

 もう一人は昔の院修了生で、ある時期から職場では心理的に引きこもっているものの、時には遥々上京して研究室に打ち解けつつ、癒されて帰っていく。
卒業生も含めて、研究室にも顔見知りが数人いるほどである。
この場合は、本人にもともと心理的に引きこもる傾向があったが、それなりに問題なく勤めていたのに、職場が管理的姿勢で職員室を統合したために、居場所を奪われたために引きこもらざるをえなかった例。
それまでは専門教科だけの部屋で静かに授業準備等の読書や思考が保証されていたのに、他学科の教員全員と同じ職員室に統合され、他の(特に外国人の)教員の声高な雑談(やクレイジーな芸術教員の露出狂的奇行)に悩まされて職員室におれなくなったという。
皆が一緒! というのは日本人の心性のマイナスだ! と「声高」に強調しておきたい。
その修了生一人かと思っていたら、他にも職員室に居た堪れない教員がいる(いた)とのこと。
今どき時代と逆行するような、そんな無茶な職員室を設計したらしい教頭から手ひどくイジメられているそうなのだが、教頭の「外人が作った学校なのだから、外人の言動に文句は言うな!」というおバカぶりは笑えた。
進学校として有名だった学校だが、時代の趨勢を掴めぬままひたすら落ち続けているのも当然だろう。
地方の閉鎖性丸出しで旧弊を改めようとしないから、落ち目は改善されようがあるまい。
他の学校から追い抜かれたのみならず、大きく引き離されたそうだが、おバカな言動で管理しようとすれば、差は広がるばかりだろう。
教育も教員も生徒も学校も、皆、管理という発想をとればとるほどダメになるのは、学大を始めとして歴史が示している。
教頭はじめ管理者が考え方を改めるのも必要だが、院修了生も自己に閉じ過ぎないように自覚していることも肝要。
まずは悪状況を作った学校側が反省して職員室を元に戻し、風邪通しを良くしたところに修了生をはじめとする教員にベストを尽くしてもらう、ということだろう。
 3人目は明確な目的意識も無いまま(よくあるパターンで他人のことは言えない)進学したものの、本来勉強が好きではなかったのが致命的で長期休学せざるをえなかったケースか。
親の理解が無かったのか、退学が遅れて回り道が長くなってしまった感じで、ある意味ゼイタクな悩み。
詳しいことが聞けなかったので、ハッキリしたことが言いにくいが、親に閉じられてないで、かつ自己閉塞もしないようにチェックしながら生きる、という自覚が大事。
(長くなって疲れた!)