「業績一覧」追加と訂正  『学芸国語国文学』退職記念号  山田有策・大井田義彰両氏のエッセイ

退職に際して『学芸国文学』が記念号を出してくれてとっても嬉しかったせいもあり、むやみとたくさん買い取って縁ある方々にお送りした。
買い取り冊数を増やしたのは、むかし退官記念号に関わった時に、依頼論文が全部出揃ったら予算をオーヴァーしてしまい、慌てて執筆者から掲載料を集金するように指示された苦い経験があったからでもある。
今年は大熊徹さんと一緒なので異常に分厚くなったが、来年もお2人が退職するので2年続けて分厚い紀要を出すには多額の予算が必要だと心配なので、少しでも講座と学会の蓄えを増やすのに貢献したい気持だった。
3つの近代文学ゼミの機関誌『青銅』の記念号も分厚くなり、これもたくさん買い取って方々にお送りしたので、元より少ない我がポケットが破産しそうではあった。
幸い学会長のご配慮で、『学芸国語国文学』の方は後から買い取った分まで遡って割り引いていただき、その差額を返却していただき溺れる者として情愛のこもったワラにすがったしだい。
2つの雑誌に寄せていただいたエッセイや論文をユックリ読ませてもらうのを楽しみにしていたのだが、このところ繰り返しているように片付け作業を中心に生きているので、頭脳より肉体労働に励む日々といった感じ。
ホントのところ学会誌に寄せてもらった卒業生の論文については、一つ一つブログに感想を記す心づもりでいるのだけれど、それが果たせずにいるので申し訳なくて仕方ない(片付けがひと段落したら始めます)。
それにしても学会誌は何よりも巻頭の釣り姿の写真がバカ受けで、いただいた礼状は例外なく写真に言及していたので「してやったり!」。
学内誌『TGU』(学生の編集)の記念号にも別の釣り写真を載せてもらったのだが、大学教員というと撮る方も見る方もお約束のように書斎で本棚を背景にするのがイヤで、そういう類の通念を壊すイタズラを楽しんだ。
私以上に見た方々皆さんが楽しんでくれたので、それがまた嬉しかった。
山田さんのオマージュも嬉しいといえばメチャ嬉しいのだけれど、素直に喜べないのはジャイアンがスネオにオマージュを捧げる構図がオカシ(奇異)過ぎるからだろう。
スネオからすれば恥ずかしくて読み返しにくいし、ジャイアンが「褒め殺し」という新手のイジメでも始めたとでも解釈しないと落ち着かない。
大井田さんのオマージュも実に照れくさいのであるが、1点誤解があるので「訂正」しておきたい。
40ページの後半に《釣りとワインを愛し、ときにジーパンとティーシャツというラフないでたちで颯爽と講義に向かう姿はなかなかのもの》と喜ばしく書いてくれているけれど、釣りは写真のとおりジーパンとティーシャツ姿でやっても、講義はそんな颯爽としたカッコウでやったことは一度も無い。
よく学生に言うのだが、教員は客商売だから客(学生・生徒)に不快な思いを抱かせるような恰好で授業をしてはいけないというのがモットーである。
特に非常勤講師で他大学に行く場合は、大学の名を背負っているので言動に十分注意を払わないといけない。
学内でのことは「関谷のヤツは・・・」で済むが、他大学では「学大の教員はオレ達をバカにしているのか」と受け止められるからである。
私はジーパンでゼミをやったことはあるが(座るので下半身は見えない)、全身をさらす講義にはジーパン姿では行かない。
ジーパンに対する自分の考え方が古いのかもしれないが、受け止める側のさまざまな感情を考慮すればジーパンは避けるべきだと思っている。

とまぁ、ここまでは言わば前ふりでやっと本題の「追加と訂正」に入れる。
自家を片付けていたら、以前まとめた業績一覧を発見したのだが(学会誌に載せる時には未発見だったので苦労した)、照らし合わせてみたら字句や論文の脱落を見つけてますます自分の粗雑さに呆れるばかり。
大きな脱落としては「2 論文」の
22ページ後から2行目に「『和解』論の前提」(『解釈と鑑賞』昭和62・1)が入り、
23ページの真ん中に「川端康成 対 小林秀雄」(『川端康成の世界 4』勉誠社、平成11)が入り、
24ページ5行目に「『イノチガケ』小論――安吾の書法」(『解釈と鑑賞』平成18・11)が入るという大チョンボぶりである。
中くらいのチョンボとしては「2 書評・学界時評」の
25ページ6つ目に「批評・研究の諸問題」(『昭和文学研究』平成9・3)が抜けている。
チョンボとしては月報が記されておらず、新版の志賀直哉全集と佐藤春夫全集に書いたのは確かであるが、これは省いても構わないものだろう。

ついでに付しておきたいのだが、26ページの『日本文芸鑑賞事典』の小林秀雄訳「地獄の季節」解説は、リンパ腺ガンで入院中に小林秀雄研究の津久井秀一クンがまとめてくれたようなもので、書いたのは私だが8割がたは津久井クンの手柄である。
そもそも私はランボーには関心も知識も無いので、入院していなくても書けなかったかもしれない。
もう一つ、これは業績一覧に載ってないが『別冊國文学 太宰治事典』(平成6・5)の「太宰治キーワード事典」で、見開き2ページの「自殺/心中」という項目は私の名前が記されているが、実際は太宰研究者である北川透クンの仕事である。
これは依頼を受けたものの、その手の啓蒙的なものはお断わりしていると伝えながら(事実三好行雄師の名で注文された事典の項目執筆を断り、友人達を呆れさせたことあり)、代わりに信頼できる研究者に書いてもらってもよければ引き受けるという条件を責任編集者に認めてもらった上での虚名である。
太宰に関しては私以上に詳しい北川クンが書いたので、手際よくまとめてある。
以上2点、他人の業績を自分のもののようにしている秘密を抱いたまま死にたくはないので、今から打明けておきたい。