宮腰賢先生  川崎展宏  松波太郎  金城孝祐  ぴーす又吉「火花」

久しぶりに文芸誌の宣伝欄に我等(イチロー・ファミリー)のボッキマン太郎の名前を見出し、嬉しかった。
今や完全に作家としての地位を築き上げた感じで、『文學界』10月号に「ホモサピエンスの瞬間」という作品を発表している。
この雑誌(文藝春秋社)は文學界賞を与えた作家を大事にして時々書かせているのは好もしい。
それに比べると『すばる』(集英社)の方は賞を与えながらも冷たい、あるいは厳しいようで我等の作家センセイ・金城孝祐は受賞2作目の活字化にだいぶ苦労している模様。
賞といえば芥川賞のぴーす又吉が過剰に売れ騒がれているけれど、まったくというほど読む気が起きないし、そんなヒマは無い。
芸人の世界を描いたと聞くと興味を惹かれないし、又吉が大の「人間失格」ファンだと知ると、太宰文学を評価している身としても期待できない。
題名がツカム力があるせいでファンが多い作品なのかもしれないけれど、個人的には好きではないし評価もできないからだ。
演出された太宰が出過ぎて臭過ぎて読んでいられない昨品の代表なので、それを100回も読んで小説を書いたと言う又吉のものは敬遠しておきたい。
我が息子は経済専門なので又吉が書いたのじゃないと思っていた様子だったけれど、そんなことはないと保証しておいた。
次作も用意しつつあると言っていたけれど、私小説的は誰でも1つは書けると言われているものの、芸人の世界という私小説的なものは書けても違う世界を又吉が書けるかどうかは保証できない。
文章を書く才能はあっても、己とは無関係な世界を言葉で創造する能力があるかどうか、又吉も2作目に苦心するだろう。

前振りが長くなってしまったが、朝日新聞の「朝日俳壇歌壇」のコラム欄に学芸大学名誉教授・宮腰賢先生が川崎展宏(てんこう)の俳句におけるオノマトペについてコンパクトにまとめている。
実はケン爺(ボクがつけた宮腰先生の愛称)とは毎日メールを取り交わしている仲で、ボクの自称は一茶をもじって「一茶ん(いっちゃん)」という子どもの頃の呼称を使っているので、今日もこの件で電話をもらったらお互い「ケン爺・一茶ん」と呼び合っていた。
昨日だったか「名前で呼ぶな」というFD委員会の見解を批判したばかりだが、ボクは学生に限らず長上に対しても愛称を付けて呼んでいるわけだ。
でも宮腰先生の場合は附属小学校の校長の時に、「賢(まさる)」を「ケン」と読み替えて子供たちがケン爺と呼んでいたのをそのまま踏襲しただけのこと(ちなみにクレイ爺(中山昌久)は英単語から付けられた模様)。
そもそもボクは展宏については全く知らなかったけど、メールのやり取りを続けているうちにケン爺から教えてもらっていたので、コラムの内容はその10倍くらいの規模で聴かされていた幸運に恵まれていた。
有名な句としては、
「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク
が第一のようだけれど、オノマトペとして取り上げられている句は、
鶏頭の鶏頭ごつと触れゐたる
が挙げられ、日常語の「ごつん」や「ごっつんこ」の語根でもある「ごつ」を用いたのはこの句が初めてだろう、と解説している。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙
という句もひきながら、展宏がオノマトペの豊かさを俳句の世界に取り込んだ俳人として紹介している。
そういえばもう2け月ほど前だったかにオノマトペが話題になり、ボクが日本詩歌で第一のオノマトペは中也「サーカス」の「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」でしょと記したら、ケン爺もメールで賛成してくれたのを思いだした。
おそらくその頃からケン爺の念頭には、朝日のコラム執筆があったのだろう。
コラムといえば、ボクもあるコラム欄に漱石のことを書いているところ。
詳しいことは言えないが、漱石の方法意識の高さに注目して短くまとめるという難問に時間をかけざるをえないので、あまり他のことには集中できない状況。