坂口安吾研究会  山根龍一  ヒグラシゼミその他の催し

安吾に集中したいと言いながら数年経ってしまい、吾ながらお恥ずかしい今日この頃である。
桐原の教科書も一段落ついた感じなので、目先を転じる効果も期待して安吾研究会に足を延ばした。
文字通り足を延ばした感じで、国立からフツーに1時半の電車時間の道のりだ。
このところ桐原がらみで漱石ばかりに集中していたので、考えを外に広げる意味でもイイ機会だった。
それにしても遠い大学だけれど、発表内容は決して遠くはなかったのは山根氏の発表が距離を縮めてくれたからだろう。
最初の松村さんの発表は将棋・囲碁談義だったのでハナから無視して音源を断ち、ひたすらメインの山根氏のレジュメを読みふけった。
松村さんは力量があるのは分かっていたけれど、内容が将棋や囲碁の話題なので、予想どおり趣味的な談義を超えるものとも思えなかった。
にもかかわらず会場の反応が好意的だったのは、気を遣い過ぎの感ありで、期待して参加する会員に対する責任が感じられないので不快感は残った。
2本目の未知の尾崎さんの発表は、こちらが無知な織田作の戦時中の発言に関するスタンスの取り方に関するものなので、細かいところまで教えてもらいつつも突っ込みどころを覚えながら自粛した。
よくあるパターンで、作家や作品の背景については種々広げて教えてもらうことが多いものの、肝心の作家や作品に関しては切り込みきれていないので「だから何なんだ?」というところが満たされていない不満が残った。
テクストや作家に閉じがちな研究の閉塞感から逃れようとする傾向の必然性は理解できるつもりながら、そこから安易にテクストの背景としての時代状況や歴史に話題を広げる志向も心理的には分かるのだが、肝心のテクストや作家の理解・解釈に戻りきれない論文・発表に対しては意識的に立ちはだかりながら反省を促してきたつもりだ(吾ながら回いクドイ言いまわしだなぁ〜)。
尾崎さんは聴いているかぎり力量を感じさせるのに、余計なところに時間と能力を費やしている感じがして惜しまれたということを言いたいだけなのだけれど。
こちらとしては、尾崎さんが提示してくれた状況の中で、オダサクがどれほど悩みあるいは苦労して表現を模索したかが知りたいだけなのに、肝心のそれが平準化されたまま伝わってこないもどかしさだけが残ったのが残念だということ。
山根さんの発表はボケ老人を目覚めさせてくれるほど刺激的なものだった。
会場が遠かったので電車内での睡眠が十分の上、松村さんの発表は聴かずに山根レジュメを読み込んでいたせいもあったかもしれないけれど、近年に無い貴重な発表だということが伝わった。
こちらの無知のせいかもあったとは思うけれど、「日本文化私観」に対する両様の理解の紹介と山根氏のスタンスの取り方にとても興味を覚えた。
会場で質問したことの繰り返しになるが、山根氏が言う「安吾が理想とする文体・文章」がどの程度のものなのかとても気になった。
安吾のフランス語に関する理解力がどの程度のものなのか、半過去や単純過去など時制についての読みができているのか(もちろんボクはいい加減)とか、安吾が言及しているスタンダールの文体を安吾がどこまで理解しているのか(フランス文学で時おり言及されるセックな文体に当てはまるのか?)など知りたいことが噴出する感じだったけれど満たされなかった。
今さら比較文学を慫慂するつもりはないけれど、むやみに日本の歴史に即してテクスト離れするよりも、世界の文学潮流に即したテクスト分析に向かって欲しいという要望は強く感じた。
それこそがかつての薄っぺらな比較文学研究を乗り越えて、実りある文学研究が根付くものになるのにと惜しまれる。
もう一点、昭和17年の時の言説になぜ火野葦平が言及されないのかがスゴク気になった。
戦場を大局的な観点から見ることのできた立場からではなく、殺し合う現場の感覚を伝える戦記文学が求められている状況下で、昭和17年の時点では火野葦平が全く無視されているような感じがするのはなぜなのか、山根氏の提示してくれた資料から反照されたので理由を知りたかった。
無知で無恥な者の質問だったのですぐに答えが出る問題ではないながらも、会場を仕切っていた大原さん(問題点をあれほど理解・整理できる能力はニンゲン技ではない)他の皆さんが真剣に考えてくれたのは感動した。
この数日、喘息の症状が出ているので咳が議論の進行を妨げる心配もあったが、それほどヒドイものではなかったので安心して聴けたものの、懇親会には参加できなかったのは申し訳なかった。
喘息は飲酒で症状が悪化するので控えねばならないこともあり、会場校の大原さんや牧野クン(昔、千葉大に非常勤で通っていた時に世話になったTA)発表者の山根氏や運営委員長(?)の浅子氏(昔、山根氏と3人で呑んだ)には申し訳ないながら懇親会は控えさせてもらった。
帰りの電車はファミリーの小川さんと立教大のM君と3人で電車内で歓談しながらだったので楽しかった。
M君がファミリーの催しが大学を超えて行われているのを知らなかったのはザンネンだったので、ここで改めて確認しておきたい。
ヒグラシゼミも開始以来クリマン・ムック・ヒッキー・オピッツなど立教勢の発表も含め、大学の枠など取っ払って外に向かって開いているので発表や議論参加は全く自由で歓迎しています。