秋山虔先生と私

大学者だけあって、ブログで先生の訃報を知った人からメールが届いている。
研究者また教育者としての秋山先生の偉いところは、自分のマネをやらせないところだと思う。
同じ頃の研究者には新しい研究法を頭ごなしに否定する人も沢山いて、ツライ思いや冷や飯を食わされた若手の話は数多く聞いたものだ。
例えばある万葉集研究者は新理論に激しい拒否反応を示すので、学生たちは自主規制を強いられたとか、ある国立女子大学でも同様だったとかで、信じがたいアカハラが堂々とまかり通っていた時代だった。
有名私立大学ではより若い世代(といってもボクより少し上の世代)の研究者が自分の好まない傾向の研究者を排除したがるとか、決して過去の話に限らない。
東大では三好行雄越智治雄両先生も秋山先生と同じく、学生の自由にさせてくれていたものだ。
だからボクのような(三好師に盾突いた)者でも排除されずに今日があるわけだ。
実力と自信のある先生は自分と異なることをやる弟子に寛大だ、ということだろう(師弟関係に限るまい)。
秋山先生の話に戻ると、院に進学した年に先生の演習授業を取ることにした(紫式部日記)最初の授業の自己紹介で、古典専攻の受講生ばかりの中で「近代文学専攻しているので全くのシロウトです」とホンネをもらしたとたんに、何とすかさず先生が「私も素人です」と返してくれたのにはビックリしたものだ。
学部時代でもお会いすると親しく声をかけていただいてはいたが、「近代バカ」(当時の近代専攻院生の自称)に対して古典文学研究の巨大な存在から「私も」と言われ、さすがの自信過剰な「近代バカ」も身がすくむ思いだった。
7年間の定時制高校経験にもよるけれど、学生時代にド偉い先生たちの謙虚な姿勢から学んだお蔭で、学生たちの意見に素直に耳を傾ける態度が養われたものだという自覚しつつ、先生のご冥福を祈りたい。