秋山虔の文体  研究者の文体

もう1つ秋山先生について記しておかねばならないことがある。
それは研究者としての先生の際立った独自性・が特異性だ。
4・5年前だったかの東大国語国文学会のシンポジウム「研究者の文体」、自分がパネリストを務めた時以外は参加しない学会だけど杉本優氏(ふだんはオスギとしか呼ばないけど)が司会するというので参加した。
司会者や主催者たちの期待と予告どおりに3人の発表(毎回古典文学・近代文学国語学から1人ずつ)が終った後で意見を言ったが、一番の問題は「研究者の文体」をテーマにしながら誰も秋山虔について触れなかったこと。
昔ボクがパネリストを務めた時もそうだったとおりで国語学の研究者はテーマに沿った発表ができなくて問題外ながら、その時の近代のパネリストは三好行雄越智治雄については語りながらも秋山虔について触れることができていなかった。
その点を突いたら落ち度として認めていたが、古典サイドのパネリストもその後の質問者も全く秋山虔について語れる者がいなかったのは最低だった。
秋山先生もその場に参加していらっしゃるのを横目で見ながらも遠慮なく(自他共に許す無茶な人間なので)、もちろんお世辞などという下劣な発想は100パーセント無いまま(お世辞も考え付かないほど誰もが秋山虔を無視していた)、「研究者の文体をテーマにしながら、誰も秋山虔に触れないのは何事か?!」と問題提起したものだった。
さすがに賢い(イヤミではなく)杉本氏には通じたらしい反応だったけれど、それ以上に秋山虔の文体が議論されることは無かった。
なんとも物足りないシンポジウムだったけれど、理解力のある参加者には低調だった原因の指摘がつたわったはず。
秋山虔三好行雄越智治雄のトビキリ優秀な研究者が揃っていた奇跡的な時代には、このお三方が「天才のごとく」書いていたものだったがそれこそが「文体の時代」だったと言えよう。
天才の対語は鈍物だと思うが文体の対語は何か? と問われれば資料調べだと思い付くのは、他ならぬ秋山先生から受けたインパクトのせいだろうと思う。
学部だったか院だったかハッキリしないけれど、演習授業のコメントで先生がある研究者について「この人は解釈で止めておけばいいのに、余計なことは言わない方がいいのです。」とおっしゃった時の悦びと感動は一生忘れない。
ボクなりの勝手な理解の仕方でまとめれば、書けない(文体を持てない)鈍物は資料を調べることに徹していればいいのだ、という厳しさに打たれるということ。
シンポジウムの大方の参加者が鈍物だったので秋山虔の文体が全く議論されなかったのだろう、と集約してみるとあの時の物足りなさが納得できるというもの。
東大の国語国文学学会は烏合(鈍物)の集まりで、文体を持つ者は参加しないというのが相場だと言えるだろう。