清水冨美加  若村麻由美  大川隆法  吉本隆明  小林秀雄

今話題の清水冨美加といえば、ずいぶん前にNHKの「哲学」を分かりやすく説いた番組のレギュラーで知った子だったので、とても驚いた。
いかにも物識りの國分功一郎さんが何でも答えてくれる講師役で、冨美加と牧田スポーツが外さずに応じる頭の良さを発揮していて楽しみだったので、番組の打ち切りが残念だった。
あんなに頭のイイ子が何が「出家」だと不可解だったけれど、母親が信者だと聞いてそれも仕方ないのかと納得したものだ。
同じようなケースを思いだしたのは、若村麻由美という同じ朝ドラから出た(両方見てないけど)女優がやはり母親の信仰する宗教の教祖と結婚した事件だった。
バツ2だか3だったかの相撲取りのようなバケモノとの結婚を受け入れたのは、母親の影響抜きには考えられなかったものだ。
若村という子の方は、クラシック番組で池辺晋一郎さんのアシスタントとして知っていたので、あんな清潔感のある子がどうして? という疑問は宗教の洗脳抜きには理解できなかった。
清水の方は、若村と違って頭がイイだけに真面目に考え過ぎた結果なのかもしれないが、ニュースで見た大川隆法というチープな教祖のウサン臭さから見る限りでは、大川の影響からの「出家」とはとても考えにくい。
しかしずいぶん昔のことながら、気の利いた放送作家が大川に惚れ込んだ(?)あげくに自殺した事件を思えば、清水も大川のパワーで洗脳されたのかもしれない。
いずれにしても宗教はコワイ、というか洗脳は宗教でも政治(的イデオロギー)でも恐ろしいものだ。
孤独や孤立は洗脳されやすい状態でもあるから、身近に自分を相対視してくれる存在と付き合っていた方が安全だ、イチロー・ファミリーみたいに。

ただいつも頭から離れない観点があり、「邪宗」の典型で日本中を恐怖に陥れたオーム真理教の「洗脳」が騒がれていた頃に、吉本隆明が「邪宗でも信じることによって救われる大衆がいる」と言っていたのがそれだ。
思想的には仰ぎ見る存在であった吉本だったので、強い疑念を抱きながらも気になって仕方なかったけれど、未だに片付かない問題なのだ。
例えばサルトルの言うように、救済の無い自分の存在をこそ引き受けるのが生きることだ(実存だ)、という立場に馴染んでいるボクとしては、安易に吉本に賛同することはできない。
吉本の大衆像は小林秀雄の影響もあると論じている関谷一郎小林秀雄への試み――〈関係〉の飢えをめぐって』によれば、小林秀雄は『文學界』の同人座談会でドストエフスキーの大衆像を上げて「救済」の問題を提起している。
戦前の「邪宗」の代表だった大本(おおもと)教が信者を増やしていったのを知識人がバカにするけれど、ドストエフスキーが「例えば宗教家が手を触れずに皿を飛ばすというのを知識人はバカにして否定するけれど、大衆はよそでは知らないけれど自分の目の前では確かに飛ばした。」という通り、大衆は「邪宗」でも信じることによって救われるのだ、という永遠の(?)課題だ。
冨美加ちゃんも鋭い感性ゆえに虚しいタレント稼業を続けて行くことで心に空洞を抱えてしまい、手近にあった母親の宗教にすがったのかもしれない。
そう思うと、気軽にこの話題に発言しにくくなってしまうのだナ。
そういえば、最近若村の方も舞台とか何だか露出し始めたようで、清水と逆に「洗脳」が解けて自由に活動し始めたとすれば、それはそれで寿(ことほ)ぎたいと思う。

@ 若村麻由美さんの名を「若林」と誤記していたのをアマッチ・呑み部長から指摘されたので、お詫びして訂正します(オードリー・若林の影響だと思います)。
  アマッチの追加指摘によれば、「真由美」ではなくて「麻由美」だそうです。どうでもイイ存在だと間違えるようです。
  クリス松村の場合は本人が嫌がるのを知ったので、故意に誤記しています。
  安倍晋三の場合は思うだに不快感が先だつので、表記をキチンと確認するのが嫌で間違うことが多々あるようです。