【読む】『青銅』記念号、メイさんの文章

 『青銅』が何と50集を出すまでになり、その記念特集号を3月に出したのだネ。ボクも執筆したので3冊は送ってくれると言われたけど、元ゼミ長などにボクの負担で送って上げたいから必要分を学大へ受け取りに行く、と言った頃にコロナ禍で学大は立ち入り禁止となってしまった。先日やっと入校可能となり(名誉教授証が役立つとは!)重いので8部もらってきた。釣り部で会えた仲間には渡せたし、土屋クンはじめゼミ長経験者の数人には送ることができた。それでもまだ送りたい仲間も多数いるので、また出直してもらって来るつもり。近代ゼミ出身者なら、学大に行けば(入れれば)大井田研究室の廊下か、ヒッキ―研究室でもらえるヨ。

 内田先生・山田先生が揃って寄稿してくれていて、昭和ゼミではメイさん・オキヌ・サカポコが記念の文章を寄せてくれたけど、中でも下ネタ大好きなメイさんのものは、ボクの退職記念号に載せたものと同じく爆笑モノなので原稿を送ってもらい、以下にコピペしたので楽しんで下さい。

 

忘れえぬひとびと(せんせいがた)—東京学芸大学近代文学研究室編—

                                  神村和美

以前、『青銅』に「イチロー研と不思議な門下生(なかま)たち」を書かせて頂いたのだが、今回再び思い出話を、との原稿依頼を頂いた。ネタ切れです、とイチロー先生にメールしたら、「飲み会で山田先生の癖だった手刀を切るポーズ」とか「種付けベストテンでイチローは5位にも入れなかった冷酷さ」などを書くといいと忠言を頂いた。「イチロー種濃い物語」を書こうと思ったが、書いてみたら下ネタがきついのでやめにした。ただし、イチローは「5位にも入れない」どころか、準優勝であったことは記しておきたい。

 

1.イチロー研の日常—昼餐小景

時は一九九九年。わたくし—メイは、インドの「ご主人様」崇拝踊りが得意な“ムトゥしのぶ”、国分寺スターリン“ファック”、売れないバンドマン“ヒッキー”(疋田先生ではない)などのモラトリアム人間たちや、種濃いナンバーワンですぐに一児の父となった“ファンファン”フロム韓国釜山などと共に、関谷研の「淫」生として青春を謳歌していた。

毎日昼休みになると、廊下から、和田アキ子の歌とハッ!ハッ!という声が聞こえてくる。でかいテープレコーダーでアッコさんの歌を流しながら、中原中也の顔がババーンと描かれたTシャツを着て、でかい図体で登場するのは、まともな女子には逃げられるファックである。そして、イチロー先生を囲んで、パイコー丼やセブンの弁当の昼餐が始まるのだが、ファックは「先生、これを見ながら食べましょう」だの「これを聴きながら食べましょう」だのと、カセットやビデオを持ってきた。

野坂昭如の「モンローの〜パンティーは〜」というシブい唄声をBGMにして食べた、イチロー先生がおごってくれた肉マンの味は忘れられない。そして、あの頃ゼミのみんなが好きで、ライブにまで行ったのは右翼芸人・鳥肌実である。ファックが鳥肌のビデオを持ってきて、帝国陸軍御用達フンドシを締めて浜辺で激しく和太鼓を叩く鳥肌、しかもどんどんフンドシがずれて、丸見え状態になる鳥肌を鑑賞しながら先生とごはんを食べたり、マイク・タイソンの偉大さを説いたビデオを見せられながら江戸川乱歩を読んだのも良き想い出である。

また、ウナちゃんという先輩は、当時流行っていたタイタニックのテーマソングを持ってきて「先生、これを聴きながらごはん食べましょう〜」とかわいらしいことを言っていたが、先生はなぜかタイタニック通俗的だと却下し、ウナちゃんがかわいくプンスカしていたのも思い出される。

まあ、それでもイチロー先生は個性を認めてくれる御仁だったので、みんな自分の好きなものを包み隠さずさらけ出し合っていた。おかげで私も先輩後輩からいろいろと教えてもらった。特に、今でもイチローの秘書を務めるヒロセくんには、「左とん平とかたせ梨乃のエンジェルちゃん体操」やツボイノリオ、プロレスの素晴らしさを教えてもらった。ちなみにツボイの「マンコ・カパック」(インカの英雄の名前です)はかなり印象深い(みなさん是非YouTubeでお楽しみください)。

そして、風俗ライターのシンボくんには、今でもSMの世界を教えてもらっている。この間、久々にこの二人と飲んだが、シンボくんが黒木華似の女王様により、大事なところに真珠を六個ほど埋め込まれそうになった話を聞いた。近年の芥川賞受賞作の数倍面白かった。ヒロセくんはアジアの至るところに彼女をお持ちのようである。なかでもお気に入りは、胸の上にウニの軍艦巻きをずらっと乗せた女性のようだ。その後、三人でガールズバーに行き、若人をくどいて楽しかった。来年になったら、シンボくんプロデュース「鮨&プロレス&新宿ゲイバー」めぐりに参加する予定である。

最近、LGBTだのなんだの世の中騒がしいが、イチロー研は九〇年代からセクシュアリティの自由はもちろん、精神の自由を謳歌していた。言葉狩りがうるさい今、イチロー門下生が集まるところは私の大事なシェルターである。

 

2.ゲームコンテンツとしても優秀な山田有策先生

 イチロー先生が言っていた「飲み会で山田先生の手刀ポーズ」というのは、当時飲み会の席では欠かせなかった「山田有策ゲーム」のことである。

きっかけは、前回にも書いた、女にふられて自転車で京都まで行き土方をやって戻ってきた脳みそ筋肉のT村さんが、ある日学内で筋トレしていたら、どこからともなく「せんだ!みつお!ナハナハ!」と聞こえてきたというものだ。それが「せんだみつおゲーム」だと知っていた伝説のゼミ長・牛千代が、やり方を教えてくれた。ナハナハで両手を上下させるせんだみつおゲームは面白かったが、私たちはもっと身近なお方をネタにしたくなった。そのとき、講義中に左手を右の脇下にぎゅっと入れて、右手をちょっと開いた手刀のようにして、ぶんぶん振りながら「この作品の読み方は、ひとつ!」とか言っている山田有策先生のお姿を思い出した。あの手の動きに合わせて、聴講生はみんな首をぶんぶん縦振りするので、ファックが皆の様子を指さして「宗教。」とか言ってニヤニヤ笑い、履修届の「山田有策教官」と書く欄を、「官」まで書かずに「山田有策教」で止めて喜んでいた。それを思い出したのである。それで、試しに「やまだ!ゆうさく!ふんふん!」とし、「ふんふん」のところで例の手刀をやることにして、ゲームをやってみた。結果は、当たり前だがせんだみつおの数倍は盛り上がった。山田研に誰もいないことを確認してからでないとできなかったが、飲み会では必須のゲームになった。山田先生のキャラクターが唯一無二だからこそゲーム化?されたのだろう。学芸大はキャラ立ちしている先生が多くて、存在自体がもうネタであった。

 

3.混ぜるな危険!大井田義彰×中上健次

それではもう一つ、書いておきたいことがある。これは私が実際に見たものではなく、「淫」修了後、セクシー蛇踊りのマキちゃんをはじめとする後輩から聞いたものである。

大井田先生の木曜1限の授業が、保体科にまで大人気という、フツーに聞けば健全な話題だったが、どういう授業だったのか聞いたら、これがなかなかどうしてすごかった。

それは、大井田先生が、ひたすら中上健次の近親相姦小説を朗読するというものだった。しかも先生は、途中から息遣いがおかしくなり、ハアハアいいはじめて、スゴイ雰囲気になるために、1限の朝もはよから国語科と関係ない学生までやってきて、教室はすし詰め状態なのだそうだ。マキちゃん曰く「ほんとに、すごかった」らしい。

その後、なぜかその授業は休講が続き、ある時掲示板をみたら「セクハラ教授がつかまった」云々というビラが貼ってあったため、とうとう大井田先生タイホかと学生は心配したらしい。でも蓋を開けたら、セクハラはどこか他の科の先生で、大井田先生は体調を崩していただけだったとか。ハアハアも、興奮からではなく体を悪くしていたからだったとか。

とにもかくにも、私もその話を聞いて以来、中上健次を読むと、脳内で大井田先生のハアハアが再生されるようになった。この二人は、混ぜてはいけない、と思った。でも、朗読だけで多くの学生たちを昇天させる大井田先生の桃色吐息パワーは羨ましい。

 

以上、私の大好きな近代ゼミの先生方に関する美しい想い出である。

学芸大に入って、本当によかったです!

 

                                  (元助手)