【読む】橋爪大三郎の小林秀雄論  

 今回は頂戴した本ではなく、買った本。それも自力でアマゾンから取り寄せたもの。とはいえ、先日ユウ君がオンライン機器セットのついでにアマゾンを注文しやすく設定してくれたお蔭だけど。

 珍しく小林秀雄論で読みたくなった本を知ったのだネ、それもミャンマー(宇大卒の女性)のダンナの中村さん(よくある名前だから匿名同然だろ)が教えてくれた本だ。本屋といえば国立の大き目の書店と立川の大書店しか行かないけど、そのどちらでも見かけなかったのは不思議。読む価値があるので見かけるのは、前田英樹さんのものだけだネ。佐藤公一を最悪として(ハッキリ言わないと後書きでボクが評価したような言い方をするのでネ)、近年小林についての愚書がたくさん出ていて不愉快極まる(資源のムダと読者への迷惑)ところ、なぜか橋爪大三郎小林秀雄の悲哀』(講談社選書メチエ、2019年)は見かけたことがなかったネ。

 中村さんが本書から少しだけ引用して送ってくれたところによると、本書が小林最後の書物である『本居宣長』を主に小林を批判しているというので、ぜひ読みたくなった次第。著者がもう1人のダイちゃん(『現代文学』の同人だった奥本大三郎さんを勝手に内心で呼んでいる愛称)である橋本さんであることも、本書が時間のムダにならないものだと思ったネ。所有者はジャミラだけど、以前紹介した啓蒙的な『はじめての聖書』(河出文庫)に感心したし、橋本さんが東工大の助手だった無名の頃のコラム(朝日新聞夕刊)でその名を知った頃から注目していたのだネ。

 「はじめての~~」はダイちゃんが最初に評価され、ヒッキ―先生も推奨の『はじめての構造主義』(講談社現代新書)の表題を踏襲したものだろう。この新書のものだったか、彼が48年生まれの東大出と知って、1年違いなのであるいは一緒に駒場全共闘として闘っていた可能性があるかも、と思っているヨ。話題になった「東大全共闘×三島由紀夫」にも関わっていたようだから、何度か顔を合わせていた可能性が高いネ。それもあって早くから信頼する書き手として注目していた、という側面もあるネ。

  

 ともあれ本書は小林の「本居宣長」だけを対象にしているので、戦後の小林を評価せずに無視したボクの小林論とはほとんど接点が無いのだネ。殊にボクは「本居宣長」を小林の隠居仕事だとしか思えないのだナ、今まで数回読破を試みたものの50ページを超えたことがないのだネ、つまらなくて。しかしダイちゃんは、小林が「本居宣長」を書いたのは《日本の近代に、まるごと責任を持とう》(「はしがき」」)としたからだと言うのだけれど、まるで賛成できないネ。小林にそんなモチーフがあったとは考えられないからネ。でも読み進むうちに賛同できるようになるかもしれないけど。

 読み始めたばかりだけど、ありがたいことに「本居宣長」全50章と「補記」の全部を要約してくれているのだネ。お蔭で内容が概略分かるようになった気になるのだけれど、興味を覚えるところもある一方でつまらなそうでもあって・・・